連載「不登校の歴史」


 3・11の東日本大震災は、東京にもかつてない体験だった。関東大震災とまではいかなくても、近年ではまれに見る大揺れで、電車も止まった。シューレ中学は「旅立ち祭」の最中で、偶然であるが、子どもとその親のほとんどが学校にいた。夕方、車のある者・車で迎えに来た者など、横浜方面、新宿方面、千葉方面などに声を掛け合って乗れるだけ乗って自宅へ向かった。
 
 それは、とんでもなかったことが、まもなく電話で知らされた。道路は一斉にくり出した車ですぐいっぱいになり、夜中の3時になっても、まだ横浜に着いていないのだった。渋滞の中で、車の中にいるしかない、というのはつらいことだった。トイレに行きたくなる、水分がほしくなる。コンビニには物がなくなってくる。電車が止まるときは、車を出してはならないという単純なことが、やっとわかったのだった。
 
 残留組は音楽室や多目的ホールで、区が提供してくださった毛布をかぶって横になった。しかし何度も小刻みに余震があった。そのたびに、みな声を掛け合って暗い校庭に出た。テレビをつけると、大津波が家々をおそう映像に絶句するしかなかった。


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