「シューレ大学」は自分であることを取り戻し、人とのつながりやどうやって生きるのかを模索する場だ。私たちは、自分の知りたい・学びたいことを、自分のスタイルで学び・深めていくことで手に入れていっている。この映画祭はそんな「映像」というものを深めたい私たちの探求の延長から生まれてきた。私はこの映画祭の企画段階から実行委員の一人として「シューレ大学」を修了した今も関わっている。
 
 この映画祭を企画した当時、私は「表現をする」ということに傷つき、苦しんでいた。自らの不登校経験から、表現に対して学校的・社会的に評価され、価値づけされることに拒否感を持っていたのだ。それだけでなく、私たちが表現をするのは、自らにとって、のっぴきならない問題を表へ出して昇華せずには生きてゆけないというような、差し迫った思いがあるからだ。


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