内閣府の調査により学校の長期休み明けに子どもの自殺が突出して多いことが明らかになった。まもなく2学期初日を迎える。私たちには何ができるだろうか。本紙理事・奥地圭子が執筆。


 辛淑玉さんが、子どもへの強烈なメッセージをお書きくださった。そこで私は、子どものまわりにいる大人に届けたい。
 
 「東京シューレ」を開設して30年になる。悲しいことに、どの年も9月1日前後の子どもの自殺がかならずあった。新聞で報道されたものばかりではない。私たちだけが知ったものもあった。多くは、いじめが絡んでの自殺だ。
 
 いじめ自殺の場合、いじめの内容や学校側の指導や対策などが問題とされてきた。もちろん、それも大事だが、もう一つ大事なことがある。「いじめがあって学校が苦しいなら、学校を休んでよい、行かなくてよい」という考え方を子どもが持つことだ。子どものまわりの大人は、それを子どもに知らせる必要がある。
 
 なぜ、9月1日前後に自殺する子どもが突出して多いのか。

 学校が楽しい子どもは喜んで2学期を迎えるだろう。しかし、学校が苦しい子、つらい子にとっては、休みが終わり、学校が始まることは恐怖や不安でいっぱいであろう。4月初旬の自殺者の多さも同じことが言える。しかし、子どもたちにとって、学校は行かねばならないところとされているし「自分でも行かねば」と思っている。
 

子どもの心は

 
 動物だって危険を感じる場所から逃げるし、避ける。生命あるものは、本能的に、そうやって身を守る。ところが、日本の子どもたちは、小さいころから、学校へ行って当たり前、学校へ行けない子はダメな子、という考え方で育てられ、「学校は休んでいいところ」「学校以外に育つ道もある」などとは、とても考えられない。つらかったり、苦しかったりしても、何カ月か何年か、ガマンして通うことになる。「逃げるのは弱虫」という精神論も根強い。しかし、9月1日はどんどん近づいてくる。1学期は休めたとしても「2学期からは行くでしょう」という期待の目を向けられることがある。そうなると親には「休みたい」と言えない。どうしよう、どうしよう、いっさいを楽にするには無にするしかなく、命を絶つことになる。
 
 大津のいじめ自殺も、岩手のいじめ自殺も、本人が「休みたい」と一度は口にしているが、まわりの大人には届いていない。
 
 学校絶対の価値観が、子どもの命を奪うと言ってよい。子どもには休む権利もあり、安心して、自分に合ったかたちで学ぶ権利がある。
 
 まわりの大人が「学校は休んでいい」「君の育つところは学校だけじゃないよ」と言ってあげてほしい。そして、それ以上がんばらせないで、あなたが生きていることが大切と心から思ってほしい。(本紙理事)
 
※本記事は2015年8月15日『不登校新聞』に掲載された記事の再掲