不登校新聞

419号 2015/10/1

不登校したら後戻りできないと思って 親に聞く不登校

2020年10月02日 10:31 by kito-shin
2020年10月02日 10:31 by kito-shin


 小学校入学以前、娘はランドセルが背負えることを喜び、学校への入学を心待ちにしていました。しかし、入学直後から「学校が楽しくない」と。その理由の一つが宿題でした。1日に8つぐらいの宿題が出され、私たちの生活は宿題中心の生活に変わりました。娘は帰宅後まもなく宿題にとりかかり、夕食や入浴もなるべく早くすませて寝る。
 
 まったく余裕のない生活に「これはさすがに」と思い、担任の先生に「できる範囲でやらせます」と私から連絡しました。ところがその後も、すべての宿題をやっていこうとする娘。しかたなく朝早く起こして残っている宿題をさせたこともありました。が、そこまで必死になることに疑問を感じ、「なんで?」と聞くと、宿題ができていないと「みんなの前ですっごい怒られるんだ」と。宿題ができていない子は休憩や給食時間にもやらされるんだそうです。
 
 その給食も驚きました。学校見学の日、給食を見に行くと「え? 軍隊なの?」と思うような雰囲気でした。机は授業中と同じで前を向いたまま。会話は「時間内に食べきれない」という理由で禁止。物音は、お箸と食器のカチカチという音だけ。食べ終わった人は、食べ残しがないか先生にチェックしてもらったら休憩。

 「すごいところじゃね~」と言うと、娘の話では、教室内は一事が万事そうで、担任と副担任が張りつめた空気を出している、と。
 
 そんな学校に対して娘が限界を見せたのが、小学1年生の3学期開始直後。毎朝、「行きたくない」と言うようになりました。
 

不登校したら後戻りできない

 
 学校がおかしいことは私もわかってましたが、それでも「行かないことを認めたら後戻りできなくなってしまう」と思っていました。私も夫も必死に行かせようとしました。朝、無理やり着替えをさせたり、怒鳴ったり、不本意ながら手が出てしまったこともあります。それでも娘は行きませんでした。学年が変わり、明るくて元気ですてきな担任の先生に変わりましたが、それでも週に1度程度しか通いませんでした。


 なんとかしたいと教育委員会に転校をお願いしたり、いろんな相談機関にも行きましたが、どれもピンとこない。そんなときにネットで「不登校を考える会・広島」を見つけ、すぐ相談に行きました。そのころから学校に行きたくないという子どもの気持ちが受けいれられるようになっていった気がします。
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