不登校新聞

209号 2007/1/1

生きづらさは真摯に生きる証 雨宮処凛

2015年11月16日 15:56 by kito-shin


 10代中盤から20代まで「生きづらさ」のなかで七転八倒し、「ゴスロリ作家」になった雨宮処凛さん。雨宮さんに、これまでどんな経緯をたどり、これから、どんな活動を展開されたいのかをうかがった。また、取材は、子ども編集部準備会の子どもたちと取材した。


――どんな学生時代を送りましたか?
 アトピー持ちだったので、ひどいあだ名をつけられたり、何をしてもいいというキャラクターにされたりしていました。いじめは小学校から始まって、中学校でもずっとそれが続いていました。
 
 一番ひどかったのは、中学でバレーボール部に入っていたときですね。部活だとシゴキの名を借りたいじめが多くて、順番にターゲットにされる人がいました。一度、ターゲットにされたら、辞めるまで追いつめられる。それが、とうとう自分に番がまわってきたんですね。仲のいい子も部活にはいたんですが、ターゲットにされた瞬間に、その子たちもいじめる側にまわった。すごくショックでしたね。でも、部活は恐くて辞められないし、死にそうな思いをしながら部活に出てました。
 
 もちろん、親には絶対に知られたくなかったし、先生に相談したら、もっとひどくなる。結局、部活は辞めましたが、いじめる人はどこにもいるんですよ。その子たちから逃げまどう日々が中学生時代でした。

――死にたいと思いませんでしたか?
 死にたくて、死にたくてしょうがなかったですね。いじめを機に「どこに行っても私は否定される」「いつ人に裏切られるかわからない」、という不安や人間不信が植え付けられたと思いますね。だから、生きづらくなって、リストカットや家出をくり返して、親との関係も悪化して、さらに人間不信になってしまう。もう何が原因かわからないですよ。とにかく18歳か19歳のころは死だけが出口で、「いつか死のう」という思いが自分を支えていました。
 
 20歳を越えてすこし楽になった面もありますけど、今度は明確な理由がないのに生きづらさを感じる。「はやく特別な何者かにならなくては」という焦り、復讐と恨みが心を支配していました。30歳になるまで、ずっと生きづらさがピークの状態だったんですね。30歳を越えたら「まあ、どうでもいいや」って思えたんですけど(笑)。ただ、まだ、あの生きづらさは、自分のすぐ近くにいる感じがしています。
 

思想に依存していた

 
――リストカットをどう思われますか?
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