不登校新聞

423号 2015/12/1

【公開】小説「少年と午前二時」 天埜裕文 vol.2

2016年01月13日 12:16 by kito-shin
2016年01月13日 12:16 by kito-shin


連載「少年と午前二時」(全話無料)


 深夜の住宅街を歩く人間に、もし理由があるなら、なんだろう。あたりを見回してみても、歩いている人間はいない。理由がないから歩かないのか。歩かないから理由がないのか。そんな事をふと考えたけれど、すぐにどうでもよくなってやめた。
 
 思えば僕はもう3カ月間、日中に外へ出ていない。もし3カ月ぶりに陽射しを浴びても、皮膚は平気なのだろうかと、少し気になった。ただれて剥がれたりしないだろうか。
 
  *    *    *
 
 午前2時すぎでも、電気のついている家はちらほらある。もしかしたらぼんやり光るあのカーテンの隙間から誰かが僕を覗いているかもしれないと思うと、自然に足が早まった。紺色のスニーカーで紺色の地面を踏む。足と地面の境は見えない。この地面に、夜に同化している気になるから、僕は紺色のスニーカーが好きだ。
 
 スニーカーが赤くならないように気をつけながら、カラースプレーを地面に一瞬噴射する。10歩歩いたら一回、また10歩歩いたら1回。
 
 この通りを進んで、突き当たりを左に曲がれば中学校がある。家にいるとき、日中の通学路の光景が突然目の奥に浮かぶことがあるけれど、今は見えない。実際に通学路にいるのに、ここは別の場所だ。夜は場所を変化させる。
「あぁ、なんか見てはいけないものを見てしまった気がする」
 
 僕の足を見て、佐々木さんはそう言った。あれは、音楽の授業中だった。

 音楽室で、体育座りをして先生の話を僕らは聞いていた。部屋の壁を青いペンキで塗りつぶした作曲家のエピソードを楽しそうに先生は話していたけれど、楽しそうなのは先生だけだった。
 
「見ちゃった、見ちゃった」
 
 隣の島田さんに、こそこそと、佐々木さんは言った。僕の制服のズボンの裾と靴下のあいだを見ながら、言った。
 
 足に生えている毛は、見てはいけないものなのだろうか。
 
「見ちゃった」
 
 声や映像は、いつも不意に再生される。何を聞くのかも、何を見るのかも僕は選べない。僕は首を左右に何度もひねり、深夜の通学路を見回す。紺色の街を睨む。だいじょうぶだ。ここには佐々木さんも島田さんもいなければ、音楽の先生もいない。だいじょうぶだ。
 
  *    *    *
 
 突き当りを左に曲がる前に、げっぷが出た。げっぷをしようなどとは少しも思っていないのに、僕の体はげっぷをしやがった。走れ、走れ、そう唱え、僕は自分の体を走らせた。顔に風がかかる。左カーブで転びそうになる。頬の肉が揺れる。軽やかな足音が住宅街に反響する。呼吸するのが辛くなり、太ももとふくらはぎが重くなる。
 
 中学校は、もうすぐそこだ。
 
「走れ、走れ」
 
 駆けながら発した僕の声はかすれていて、はっきり聞こえない。太ももとふくらはぎが重たくなるのに比例して、走る速度が落ちていく。校門まで、校門にタッチするまで走り切れと唱え、地面を蹴る。
 
 校門の色は何色だっただろう。深緑だったような気もするし、橙色だったような気もする。校門はもう10メートル先にあるのに、色がわからない。校門も校舎も空も、全部が紺色だ。
 
 校門の数歩手前で、僕は限界になった。呼吸が、足が、言うことを聞かなかった。それでも、心地よかった。呼吸と足が言うことを聞かなくなるのを、僕は選んだのだ。走れ、と自分に命令して、選んだのだ。
 
 息苦しさと、心地よさとともに、赤いスプレーを地面に吹きかける。たった今来たばかりの道に赤い点々をつくりながら、家を目指す。(つづく)

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