「民間施設に通う場合の通学定期券の適用」を求める運動は、3万2000名の署名提出と文部省との直接会見で山場を迎えていた。1992年11月30日、文部省へ陳情に行ったメンバーで記者会見を開いた。新たに10名ほどの子どもたちも東京シューレから駆けつけ、集まった記者も20名を越える盛り上がった記者会見となった。堂本氏も立ち会いのもと、署名活動とその提出の報告、文部省への陳情の報告、そして子どもたちがみずから、学割取得を求めて権利を主張したのだった。
12月16日には、請願署名結果の報告と協力へのお礼の手紙が約500通、全国へと発送された。
これと並行して、ある親の方のお世話で署名活動を通じて得た人脈をもとに、文部大臣の秘書に会う機会を設けることができた。登校拒否の体験やフリースクールの意義を伝え、「通学定期券の適用」を求める運動の必要性を説明し、文部省内での検討状況を聞いた。秘書の方は『まだ白紙の状態だが、登校拒否と高校中退問題は一番注目している。ただ、通学定期をどのようなかたちで認めるかを考えると、無差別にどの塾に通う場合にも出すわけにはいかない。何らかの制約は必要である』と答えられたので、『この子はここで成長するのがふさわしいと担任や校長が判断した場合、その居場所に通うための通学定期を発行すればよいのではないか』と、奥地は答えた。具体的な提案をしないかぎり、物事が先に進まないと感じられた上での手段である。文部省へ陳情で訪れた日より3週間前、11月9日のことであった。
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