本紙の編集長を交代してもらって、私は大阪で新しい仕事にとりかかることにした。
「編集長を辞めて、どうするの?」と聞かれると、「晴れてニートの仲間入りです」と冗談まじりに答えていたのだが、これが冗談でもない。ニートの定義を思い出してみよう。雇用されておらず、学校にも行かず、職業訓練も受けていない人のことだそうだ。日本では、15~34歳という年齢幅のオマケがつく。
私は現在33歳、有給スタッフとしては不登校新聞社を退職し、新しい仕事を準備しているが、雇用されるつもりも、いまさら学校に行くつもりも、ましてや訓練されるつもりなど毛頭ない。ニートでけっこうである。しかし、どうにも鼻持ちならない。
私がとりかかっている新しい仕事は、若い人たちの居場所・学び場づくりである。名前を「コムニタス・フォロ」という。ここには、世間から「ニート」だ「ひきこもり」だのと呼ばれている人も多く来るだろう。しかし、そんなのは、勝手に呼ばれているだけのことである。呼ぶ側は、ハナから若者を問題視しているのだから、名称には、すでに予断がある。それが鼻持ちならない。「ニート」だ「ひきこもり」だと言ったとたん、問題はすべて個人に帰せられ、社会のあり方は問われなくなる。
では、問われるべき社会のあり方とは何だろう?
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