
連載「不登校の歴史」
実現から13年。今もフリースクールに通う小中学生たちが使っている割引の通学定期制度は、いかにして実現しただろうか。
いま、闘いなどという言葉を使うとあまり歓迎されない世情だが、やっぱり、あれは、市民側の闘いだったと思う。子どもと親が力を合わせ、色々な人に協力してもらって闘い、勝ちとった制度なのである。
ことの起こりは、東京シューレのなかに「学割委員会」が発足したことから始まる。91年秋のことだった。その半年前、東京シューレは狭い雑居ビルの一室から、王子駅付近にある一戸建てのビルに移転していた。父母会で移転とそのための会費の2割アップを決めたものの、大人なみの交通費とあわせて、負担感は相当なものがあった。また、前に紹介した文部省の登校拒否対策が転換されるようだという情報と中間報告の変化は成長の多様性を認めさせていく兆しが感じられ、私自身、行政の硬い殻を崩していく時期がきた、と思った。そこで、移転も落ち着いた秋、まずは3人の母親とスタッフで委員会を出発させたのである。
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