不登校新聞

425号 2016/1/1

【公開】小説「少年と午前二時」 天埜裕文 vol.4

2016年01月13日 12:12 by kito-shin


連載「少年と午前二時」(全話無料)


 また外から声が聞こえ始めた。言葉まで、はっきりとは聞きとれない。聞こえるのは声だけだ。
 
 なぜ彼らは会話をするのだろう。会話をしながらでなければ、登校できないのだろうか。毎日毎日、いったい何をそんなに話すことがあるというのか。朝の陽を透かしている部屋のカーテンはすでに閉じているけれど、端をつまんで引っ張った。3ミリぐらい、カーテンが動いた気がした。
 
 古いラジカセの電源を入れ、ヘッドフォンを装着し、再生ボタンを押す。もう、すべての曲を覚えてしまった。ビートルズなんてどうでもいいのに、僕はビートルズを歌える。
 
   *   *   *
 
 何かCDはないだろうかと父親の部屋に入り、棚から適当に1枚だけ抜き取ったのが、たまたまビートルズだった。別に、なんでもよかった。毎朝、通学時に外から聞こえてくる声を消してくれれば、なんでもよかった。
 
 ビートルズを聞きながら、パソコンに向かう。
 
 画面のなかにはさまざまな色の玉がある。同じ色を3つ並べると、玉は消える。無料でなければ、こんなつまらないゲームは誰もやらないだろう。無料でも、もしかしたら僕以外、誰もこんなゲームなどやっていないのかもしれない。赤、青、緑、黄、3つの玉が並んでは消える。消えては並べるのを、ただくり返す。
 
 いつのまにか、アルバムはもう最後の曲になっている。そう気づいたところで曲が終わったけれど、リピート再生に設定済みだ。放っておいてもまた再生が始まる。
 
   *   *   *
 
 1曲目が始まるまでの空白のあいだに、2階から微かに話し声が聞こえた。声の方、フローリングの床を見つめる。声は2つ聞こえる。1つは母親の声だ。もう1つは誰だろう。女の声だ。

「だいじょうぶ、お砂糖はいらないから」
 
「あ、本当に?」
 
 きっと、母親がコーヒーか紅茶でも出しているのだろう。知り合いでも遊びに来たのだろうか。ヘッドフォンからまた流れ始めたビートルズに、2つの声はかき消され聞こえなくなった。
 
 パソコンの画面を見続けていたせいで乾いた目に目薬を注す。
 
 目の縁からこぼれた目薬を拭こうと慌ててティッシュに伸ばした手が、ヘッドフォンのコードに引っ掛かった。ラジカセからコードが抜け、大音量のビートルズが部屋に響いた。とっさに停止ボタンを押す。鼓膜が、震えている。
 
「今の音、何?」
 
 2階からの声。見た事もない女がこのフローリングの下で無糖のコーヒーか紅茶を飲んでいるのかと思うと、少し気味が悪かった。
 
「智樹だよ」
 
 母親の声だ。
 
「智樹くん? あれ、学校は?」
 
「あぁ、風邪で休んでる」
 
 母親のその嘘は、僕の存在まで嘘にした。風邪で学校を休んでいる僕なんか、どこにもいないだろう? 
 
「あ、そうなんだ」
 
「うん、熱が下がらなくて」
 
   *   *   *
 
 フローリングに転がっているヘッドフォンのコードを拾う。黒い、細いコードを摘んだこの指も、指を見ているこの目も、震えているこの鼓膜も、きっと全部、嘘なのだろう。だってこの体は、風邪なんてひいてないのだから。
 
 コードをラジカセにつなぎ、僕はまたビートルズを聞く。別に、ビートルズが好きなわけじゃない。人の声を消してくれさえすれば、なんだっていい。(つづく)

■著者プロフィール■
(あまの・ひろふみ)
1986年生まれ。小学2年生より不登校になる。専門学校を中退後、執筆した小説「灰色猫のフィルム」が2008年、第32回すばる文学賞を受賞する。『すばる』11月号に最新作「アキとユキ」が掲載されている。

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