10代~40代までの不登校当事者・経験者80人から卒業式の出欠状況とその感想を募りました(記事参照)。本人は出席、または欠席してどう感じたのか、回答の一部を抜粋して掲載します。

■出席者の「44%」が選択「どちらとも言えない」(50人中22人)
◎うれしくはなかったが区切りにはなった。
◎友人に会えたのはよかったが、先生に会ったのは嫌な思い出。
◎よくなかった点は、私をいじめていた人が涙、涙、の答辞を読んでいたこと。よかったのは「参加した」事実があるので、負の思い出としては残っていないこと。
◎学校の行事にいいも悪いもない。頼んで卒業式をやってもらったわけじゃないので。
◎苦い思い出も残ることになったが、自分で考え決めたことなので「当時の自分」はたたえたい。
◎苦い思い出も残ることになったが、自分で考え決めたことなので「当時の自分」はたたえたい。
■出席者の「32%」が選択「出席してよかった」(50人中16人)
◎もし行かなかったら、変な「モヤモヤ」が残ったと思う。
◎式が終わると学校が小さく見え、「もう終わったんだ」とケジメをつけられた。
◎卒業式の雰囲気がわかって満足した。
◎なぜか卒業式の日だけは、まわりからいじめられなかったので。
■出席者の「24%」が選択「欠席すればよかった」(50人中12人)
◎先生からも親からも「最後だから」と再三、言われて観念したため。
◎親は「後悔」ばかりを心配していたが、行っても楽しくはなかった。
◎行かなければいいという選択肢があれば絶対に行かなかった。
◎校長先生から「がんばって」と言われたが、「誰のせいで傷つけられたんだ」という気持ちになったので。

■欠席者の「80%」が選択「欠席してよかった」(30人中24人)
◎学校が好きじゃないので、行かなくてよかった。
◎不登校という身分で出席するのがはばかられた。
◎あの場所ではすごしたくない。
◎卒業式という行事に意義を見いだせなかった。
◎卒業式に行ったら、今までの自分の不登校を否定してしまう感じがした。
◎出席を強要させられていたら、おそらく消したくても一生消えない傷跡が増えた。
◎先生から無理やり「行く」と約束させられたが、強要されて行ってもいい思い出にはならないと思った。
◎同級生から腫れ物に触るように接してほしくなかったし、からかわれるので嫌だった。今となっても行かなくて後悔することもなかった。
◎「学校に行かなければ」という不登校の苦しさから解放されていたので卒業式というか、学校自体にも興味が持てなかった。
■欠席者の「13%」が選択「どちらとも言えない」(30人中4人)
◎式に出られる状態ではなかったが、「もうふつうにはなれない」と思い、複雑な気持ちにもなった。
◎卒業式に「行く・行かない」が、現在にも影響を与えるようなものだとは思えない。
■欠席者の「7%」が選択「出席すればよかった」(30人中2人)
◎学校に強い思い入れがあったので、今でも後悔している。
◎今となっては卒業式がどういうものか、知りたいと思うときがある。
こんな意見も
■「選択したかった」
私の場合、選択の余地なくあたり前のように卒業式に行くことになっていました。そうではなくて、行く・行かないを自分で選択したかったです。同じ「行かなければよかった」という体験でも、自分で選択したものであれば受けとめることができたように思います。
■「どんなかたちでも」
転校後は同級生からも先生からも、まったく無きものとして扱われてきました。学校の人たちとは、もう会いたくないのと、その中学から「卒業を認められる」のがいやでした。いろんな形式の卒業式があるとは聞きましたが、どんなかたちであれ、私にはそぐわないなと思いました。
◎つぶプロ企画でも「卒業式」にまつわるエピソードを募集しました(ハッシュタグ #ftk卒業式)。ネット上で全文閲覧可能です。
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