石川憲彦さん
1993年『子どもたちが語る登校拒否から~402人のメッセージ~』が刊行された。まだ、不登校について当事者が語りづらかったときに、これだけ多くの声を掲載したため、注目された。この本を編集したのは内田良子さん、石川憲彦さん、山下英三郎さんの3名。現在も不登校に関わり続けている。いま不登校が置かれている現状は、1993年と比べあきらかに変わった。不登校はどう変わったのだろうか、あらためてお三方に話をうかがった。
――不登校との関わりはいつごろからですか?
私が子どものころは、まだ学校も牧歌的で、楽しい場所でした。しかし、私は1973年に小児科医になりましたが、そのころから、病院に来る子の半分ぐらいが、学校は楽しくないと言っていました。あるとき、小学生の男の子が、「僕は学校休んでよかったよ。学校休んで、僕は人格ができた」と言ったんですね。その言葉には、つくづく、考えさせられました。
それでも、私は、学校なんて無理して行くところじゃないと思う一方で、学校を自分たちに取り戻す必要がある、生きる原点の場として子どもたちといっしょに取り戻していきたいとも思っています。
――登校拒否・不登校とはどんな問題だと思われますか?
私がしばらく住んでいたマルタという国では、4人に1人が中学校に行っていませんでした。むしろ、「よく休んだ」という雰囲気さえある。世界の多くの国にとって、学校は植民地支配者が運び込んだ文化なんですね。学校は、人間の生き方を、アメリカ・イギリス型のかたちに縛っていくものでもある。
人間には、誰しも、いろんな部分があって、それを受けとめる寛容さが社会にあれば、安心して生きていけます。でも、社会がある価値以外の部分を否定したら、その否定された部分は自分のなかで押し殺すしかない。それは耐えがたいことです。
日本は高度成長期に工業化によって豊かになりましたが、それは、人間をモノのように扱う時代でもあった。そして、90年代からは、「不登校は誰にでも起こりうる」と言いつつ、いろんな子どもを「病名」によって分けるようになりました。IT産業の時代は、人間を、その実体ではなくて、その人が表に持っている価値=「個性」で評価する時代です。行政までが「個に応じた教育」なんて言いだしましたが、子どもにしたら、ずっと見はられているようなもので、これは非常にきついです。
日本では、大人が自分に学歴がないというコンプレックスから、子どもを学校にやろうとしてきた。しかも、学校は、公務員・サラリーマン的な人間を育てることばかりを目指してきた。だから、子どもが、自分の生き方について考えることを早くに奪われてしまって、すごく狭いところに追い込まれている。
しかし、いま、ようやく、大学の価値がなくなっていることを、親が感じ始めています。いまや大学の価値が保証されるのは、1割程度だけです。
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