不登校新聞

431号 2016/4/1

子どものSOS、伝え続けて 悠々ホルンさんに聞く

2016年04月18日 11:30 by kito-shin
2016年04月18日 11:30 by kito-shin



 若者を中心に注目を集めるシンガーソングライター・悠々ホルンさん。悠々ホルンさんに「救われた」と言う加藤郁美さん(21歳・子ども者編集部)がインタビューを行なった。

――悠々ホルンさんは若者のSOSを歌や動画で代弁しています。なぜこうした活動を始められたのでしょうか?
 私自身がSOSを発信したくても、発信できなかった経験があるからだと思っています。私は複雑な家庭環境で育ってきました。小学校2年生までは、父、母、私の3人で、特別どうということもない家庭環境でした。それがある日、「姉」と思わしき女性が近所に引っ越してきます。ほどなくして「姉」に子どもが生まれ、その子や「姉」が、毎日のようにわが家に来るようになりました。
 

別の世界にワープした?

 
 「姉」は私よりも14歳も年上。見たことも聞いたこともない存在で、私からすれば完全に他人です。
 
 両親は私に対して、その人物が「姉である」と説明をしたことは現在に至るまで一度もありません。なぜいっしょに住んでいなかったのか。なぜ引っ越してきた当初までは「姉」の存在を表向きは認めていなかったのに、急に子どもが生まれてからは「姉弟である」と言い出したのか。そういう説明はいっさいありませんでした。
 
 当然、非常に強い違和感はありましたが、当時、それ以上に気になったのが、「姉」が子どもを連れてきてからの家族内の雰囲気です。急に親は私に対して子どもらしさを否定したり、無理な大人扱いを始めました。親は覚えていないかもしれませんが罵倒されたり、人格否定につながる言葉を言われたりした記憶もたくさんあります。また、「姉」が家に入ってくると、私が邪魔者のような雰囲気になっていたんです。「他人の家に来ているお客さん」のようになってしまったというか……。私はよその者で「姉と両親こそ家族」、そんな雰囲気だったとしか思えません。いまでも当時の気持ちは忘れられません。両親の外見は変わっていないけど別の人間になってしまったんではないか、と。別の世界にワープしてしまったんではないかと思ったことがあります。そうした過程のなかで、私は半分ぐらい親から捨てられたような気持ちになっていました。

 

原因不明の身体症状が

 
 そんな私に起きたのが身体症状でした。湿しんが体に現れ、発作的な咳が出るようになりました。咳は始まると吐く寸前まで止まらないほどのものでした。私にとってつらかったのが症状の苦しさよりも他人の眼でした。突然、授業中に咳が始まるとみんなの眼が集まる。当時は小学生ですから「吐いてしまったら人生は終わりだ」と思い、祈るような気持ちで咳が止まること、あるいは咳が出ないことを願っていました。
 
 ちなみに湿しんは原因を病院で調べましたが理由はわからず、咳に関しては調べてもいません。

 身体症状が始まってからは学校へ行くのが一気に苦しくなりました。
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