不登校をしてから20年、毎年欠かさずに親御さんから受けてきた相談があります。それは「学校に行かないことよりも勉強の遅れが心配だ」という相談です。
 
 お気持ちお察しします。私もそうでした。中学2年生のとき、号泣しながら親に「学校に行けません」とお願いしました。それからしばらくして親と私は話し合い、おたがいに納得したうえで、20万円相当の通信教育の教材を購入。教材内容は有名校へ入学するための「超難関校コース」を選択。購入を決めた日、「不登校でも、これさえあれば」と、夢と希望に私は満ちていました。
 
 結果、どうなったか。

 教材はいっさい使われることなく破棄です。購入から破棄までの期間、母と私はおたがいと自分自身を否定しあうだけで学力はいっさい上がりませんでした。その後、母は「じゃあ、塾に通う?」と言い、私は「はい、通います」と言いました。私の表情がこわばっていたんでしょう。察した母は入塾の手続きをしませんでした。
 
 以来20年間、学校の勉強はせずに34歳の春を迎えました。10代全般を通して私は同級生よりも「勉強の遅れ」があったと思いますが、さしたる支障はありませんでした。
 
 こうした経験をしたのは私だけではありません。不登校経験者、親、識者の話をよくよく聞いていくと勉強に関して2つのタブーがあることに気がつきました。それは「ムリに学校(塾)などで勉強をすること」、2つ目は「自分と他人と比べること」です。私も含め多くの人たちが踏んできた「二大地雷」です(笑)。
 
 ではどうすればいいか。私の場合、「勉強は3つに切りわけられる」と納得できたことが大きかったように思います。勉強は、①学校の勉強(教科学習)、②生活に必要な勉強、③仕事上必要な勉強、この3種類がある。「①教科学習」がすべての土台だと思っていましたが、ちがいました。3種類の勉強は自然と必要に迫られます。それぞれ必要なタイミングで学ぶと吸収が早かったです。
 
 なお教科学習は「やればかならず身につく」と思われがちですが、そうではありません。「文字が読みづらい」などの生まれ持った特性により得手・不得手があるからです。そうした知識や理解がなかったばかりに私もかつて特性を持った友人をバカにしてしまったことがあります。このことはいまでも後悔しています。

 いずれにせよ、勉強については本人に適した環境やタイミングがある、それは特性の有無を超えて感じているところです。(本紙編集長・石井志昂)