不登校新聞

436号 2016/6/15

森達也監督に聞く 主演・佐村河内守氏の『FAKE』を撮り終えて

2016年06月14日 11:36 by motegiryoga


 今回はドキュメンタリー作家の森達也さんにお話をうかがった。森さんは最新作『FAKE』で、ゴーストライター問題で話題となった作曲家・佐村河内守さんを被写体にしたことで注目が集まっている。

――なぜ作曲家・佐村河内守さんをテーマにドキュメンタリー映画を撮ろうと思ったのですか?
 初めて会ったときに、「この人、絵になるな」と思ったからです。それと同時に、彼と奥さんとの関係を撮りたいと思いました。佐村河内さんがいま、なにをよすがに生きているのか。それを撮りたいと思ったし、そのためには奥さんとの関係を撮る必要がありました。
 

怒りは個別的 悲しみは根源的

 
――映画の冒頭、森さんが「僕が撮りたいのは、佐村河内さんの怒りではなく、悲しみです」とおっしゃったのが印象的でした。
 怒りでは映画にならないと思います。怒りは個別的な感情で、人それぞれでちがいます。僕自身、佐村河内さんの怒りについては、強くシンパシーを持てなかった。でも悲しみというのは、根源的な感情で、多くの人がシンパシーを持てると思いました。


 
――僕は『FAKE』を、自分の仕事とリンクさせながら観ました。森さんは自然のままの佐村河内さんを撮るのではなく、彼に介入していきますね。僕が新聞をつくるうえでいつも悩むのは、「当事者への介入」なんです。当事者の原稿に手を加えることがあるのですが、そうすることで、書き手のリアルな思いが失われてしまうのではないか、とよく考えます。森さんは対象に介入するときに気をつけていることはなんですか。
 自分自身の「加害性」ですね。それを覚悟して作品をつくるということです。
 
 たとえばこの新聞にしても、読んで傷つく人が絶対いない、とはだれも保証できないです。情報にはつねに加害性があります。それを恐れていては表現や報道ができなくなる。だから傷つけることはしかたがない。ただしその覚悟をすべきです。覚悟のないままに傷つけるのだったら、それはちがうだろうと思います。

――覚悟があればいいんですか?
 覚悟があれば抑制します。なにかを表現するときに、「これは人を傷つけるかもしれないけれど、それでも伝えなきゃいけないことなんだ」といった葛藤が生まれるでしょう。
この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

風呂に入らず、昼夜逆転も、私のひきこもりが自然に終わった理由

502号 2019/3/15

「不登校の時間をクリエイティブに」美術家・風間サチコさんに聞く

502号 2019/3/15

教育機会確保法成立から2年 “提案型の社会”に必要なことは

499号 2019/2/1

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

504号 2019/4/15

千葉県習志野市で行なわれたシンポジウム「私にとっての不登校」では、不登校経...

503号 2019/4/1

幼稚園から小学校の低学年まで不登校。現在はリクルート社で不登校の子らへの学...

502号 2019/3/15

小学4年生の夏休み明けから不登校になり、学校復帰を焦るなかでひきこもりも始...