不登校新聞

312号(2011.4.15)

わたしの場合

2013年08月05日 15:13 by kito-shin




ひきこもりが終わったのは


 僕のひきこもりが終わったのは、絶望しきって底をついたからだった。そして、どんなときも見捨てなかった家族の支えがあったからだ。

 僕がひきこもりになったのは24歳のときに精神病がこじれて、仕事を失い、外に出る用事がなくなったときからだった。それまでも、ふつうの人と比べれば精神的に危うく、20歳のころから精神科に通って抗うつ剤、睡眠導入剤などの処方薬を飲んでいた。

 それでもなんとか病気をごまかしていたけど、就職と同時につぶれてしまった。「明日、会社に行けなければ人生終了だ」、そう思って自殺未遂をした翌日、精神科に入院した。

 退院後、何度かアルバイトをしてみるも、仕事中に吐きまくるなど「続けられない」と思い辞めた。以降、約3年間に渡ってひきこもることになる。

 最初は「夏休み感覚」で、楽ではあったが、時がたつにつれて焦りが出てきた。薬の量が増え睡眠時間も増えていった。夕方まで寝てるのに夜眠れないという、いま考えると当然の結果に対して、睡眠薬の量を増やしていった。家族が寝静まる深夜に家のなかを徘徊してご飯を食べ、朝までネットをやって家族が起き出したら顔を合わせないように睡眠薬を大量に飲んで寝た。とにかく、家族と顔を合わせたくなかった。こんな状態になった自分が恥ずかしいし、心配かけたくないし、小言を言われたくなかったからだ。それと単純に他人が怖くなっていた。しばらく人と会わないと人が怖くなる。ただ人に会うだけで自分が社会から取り残されてることを実感する。それなのに、ネットでニュースをこまめにチェックして、同じニート友だちと国や経済について語り合うというまったく意味のないことをしていた。

 薬の量が増えていき


 日々は不思議なくらいすぎるのが早かった。何もしないことが当たり前になり、一日2~3回の睡眠が日常になった。体力は極端に衰え、イスに座ってネットをやることも苦痛になり、寝ながらiPhoneで2ちゃんねるを読むようになっていた。酒と処方箋薬のオーバードーズもするようになり、奇行をして他人に迷惑をかけた。

 ベッドから出るのはタバコを吸うときだけで、"ふとんこもり状態”が続く日もあった。トイレに行くのも苦痛で、ペットボトルにおしっこを入れようかと考えたこともあった。机には吸い殻と酒と処方箋薬が山のように積み重なり、それがふつうの光景であると当時は思っていた。何度か生活を立て直す機会はあったが、すぐ調子を崩してしまって失敗した。薬の量が一定量を超えると、人間はものを考えることができなくなるんじゃないだろうか。

 ある日、酒と薬でオーバードーズをして、トイレで意識を失っていた。病院に運ばれたけど記憶はほとんどない。ただ病院のベットで尿を漏らしたことは覚えてる。さすがにまわりに迷惑をかけすぎたと思って薬の量を減らしはじめた。

 何日か経って、弟が仕事を休んで僕を車いすで運んでくれてたことを知り、とうとう情けない気持ちではち切れそうになった。お兄ちゃんなのに、弟に、なんにも誇れるものがない。

 ダメだ。とりあえず薬を辞めよう。そう思って薬をどんと減らした(病気の種類によっては薬を急激に減らすのは危険な場合もあるが、自分は10錠近い睡眠導入剤と安定剤を減らした)。

 そうしてじわじわと正気に戻りはじめ現実を実感する。
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