不登校新聞

365号(2013.7.1)

論説「家族になる 家族である」

2013年06月27日 16:27 by kito-shin


 傍らにいるべき人がいる。そのようないっしょの誰かがいる。この場合のいっしょの誰かは誰でもいい誰かではない。子どもが自分のためにだけ存在していると感じられる特定の特別の誰かである。そうした誰かを「受けとめ手」と呼べば、子どもは、受けとめ手がいるとき、やすらぎ状態にある。このやすらぎ状態を、子どもは家族あるいは原家族と見なすであろう、このような原家族が安定的に成り立つ場、すなわちやすらぎの場を、家庭であるというふうに考えてきた。
 

 やすらぎ状態とやすらぎ領域

この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

【公開】静かな革命 奥地圭子

269号(2009.7.1)

人生の道標、北極星 石川憲彦

269号(2009.7.1)

あるがままとは 森英俊

269号(2009.7.1)

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

474号 2018/1/15

安冨さんは2013年から女性向けの服を着る「女性装」をするようになった。「...

473号 2018/1/1

2017年も、子ども若者に関わるさまざまなニュースが飛び交いました。そこで...

472号 2017/12/15

みんなが学校に行っている時間帯は「楽しいこと」をしてはいけないって思ってい...