
傍らにいるべき人がいる。そのようないっしょの誰かがいる。この場合のいっしょの誰かは誰でもいい誰かではない。子どもが自分のためにだけ存在していると感じられる特定の特別の誰かである。そうした誰かを「受けとめ手」と呼べば、子どもは、受けとめ手がいるとき、やすらぎ状態にある。このやすらぎ状態を、子どもは家族あるいは原家族と見なすであろう、このような原家族が安定的に成り立つ場、すなわちやすらぎの場を、家庭であるというふうに考えてきた。
「寄り添う」とは、いっしょに考えること。「スカートをはいた大学教授」としてSN…
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