
精神科医 冨高辰一郎さん「欧米で相次ぐ指摘"病気づくり”」
今号は1月10日に東京・北区で行なわれた講演会「なぜうつ病の人は増えたのか」の講演抄録を掲載する。(登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク主催)講師を務めたのは、精神科医の冨高辰一郎さん。著書『なぜうつ病の人が増えたのか』のなかで、うつ病患者の増加について、製薬会社が行なう啓発活動が大きなきっかけになっていると論じている。当日は多くの資料やグラフを駆使しながら、話がすすめられた。
近年、心の病で休職する方が急増しています。しかも特定の業種にかぎったことでありません。国家公務員や公立学校の先生など職業別に見ても、どの職種も99年ごろから休職者数が急増しているのです。
休職の理由として一番多い病名は「うつ病」や「うつ状態」で、半分以上を占めています。
心の病で休職される方が増えた理由は日本全体でうつ病患者が増えているから、と判断してよいと思います。実際、厚生労働省の統計によると、96~99年くらいまでのうつ病患者は、およそ40万でした。
ところが99年から右肩上がりに増え始め、08年には100万人を突破しました。9年間でじつに2・4倍に増えたことになります。
ではなぜ99年ごろから急激にうつ病患者が増えたのでしょうか。理由は、諸説さまざまありますが、具体的なデータや事実によってうつ病患者が増えた原因を立証しているものはありません。99年前後から日本に何があったのでしょうか。
新たな抗うつ薬 "SSRI”
99年ごろからうつ病の休職者が急激に増えたことについて、気になるデータを紹介します。
95年から99年まで、日本における抗うつ薬の年間売上げはおよそ170億円でした。それが99年ごろから急激に増え、06年では875億円、現在では1000億円を超えたと言われています。
うつ病患者、休職者、抗うつ薬の売り上げがいっしょに増えるのは、当然です。うつ病と診断されれば、休養と薬を勧められるからです。しかし99年に薬価の高い「SSRI」という新薬が発売された途端、うつ病患者が急激に増え始めたのは、タイミングがよすぎるような気がします。
「SSRI」とは「Selective Serotonin Reuptake Inhibitors(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)」の略で、従来の抗うつ薬を改良したものです。口が渇く、便秘になる、といった副作用を減らすために、ほかの受容体への作用を減らし、セロトニン作用が強化されています。
この「SSRI」の登場の年から、うつ病患者が急激に増えているのです。さらに興味深いことに、日本だけではなく、ほかの諸外国でもSSRIの発売後に、うつ病患者が10年で約3倍前後に急増しているのです。
欧米では日本より10年早く80年代終わりにSSRIが発売されました。イギリスではSSRIの発売後に、抗うつ薬の処方量(つまり患者数)が10年で3倍に増えました。アメリカでも、うつ病外来患者数が人口1千人あたり7・3人から23・3人と3倍以上に増えています。北欧4カ国やオーストラリアでもSSRI発売後同じようなスピードで抗うつ薬の処方箋の数が増えました。
一方、ドイツや イタリアのような、増え方がゆるやかな国もあります(といっても10年で2倍ぐらいのスピードで増えていますが)。
新薬が発売されると、どうしてどの先進国でもうつ病患者が増えるのでしょうか。一番の原因は、世の中全体を巻き込むようなうつ病の啓発活動が始まるからです。うつ病に気づいて、早期受診が大切というメッセージが、メディアを通じて大量に流されることによって、病院を受診する患者が増えるのです。
近年、先進国では、うつ病にかぎらず、病気の大規模な啓発発動を行なうことによって、薬の売り上げを増やそう、という風潮が強くなっています。
病気の啓発活動は世の中に必要なのですが、問題はその内容です。たとえばエイズのように、早期でも確実に診断可能で、早期に治療したら改善する病気の場合、早期受診・早期治療が適切です。
しかし、うつ病はエイズとはちがいます。早期のうつ病と深刻な悩みを鑑別できるのか、早期に見つけたからといって薬がどれだけ効くのか、といった問題があります。
早期受診で精神科に来られても、精神疾患の診断基準というのは、それほどしっかりしたものではないのです。抑うつや不安を訴えて来院された方に、どこから病気でどこから治療不要か、といった判断を理路整然とできるはずがありません。うつ病の場合、この基準を満たしていなければ問題ないとか、この基準なら薬が効くとか、確固たる原理原則から作成された診断基準ではないのです。したがって、うつ病の診断基準にあてはまらなかったから、大丈夫ということにはなりません。逆にうつ病の基準にあてはまっても、自然に回復する人もいると思います。

啓発活動の光と影とは
上述したように、病気の啓発活動は必要です。しかし、やり方によっては問題となることもあります。欧米では現在、啓発活動の"影”の部分が指摘されています。ディズィーズ・マンジェリングとかメディカライゼーション、いわゆる「医療化」「病気づくり」「病気の押し売り」と呼ばれています。
大手製薬会社がマスメディアを使って大規模な啓発活動を行なうことにより、過剰診療を引き起こしているという批判です。
とくに精神疾患の場合、啓発活動により、病気ではない人も受診につながっているのでは、という批判が多いのです。
たとえば、アメリカでは、躁うつ病の新薬が発売された後、94年から03年の10年間に小児躁うつ病の患者がおよそ40倍に増えました。現在、乳児から20歳までの子どものうち、およそ1%が躁うつ病で通院治療を受けています。
他国の精神科医からは「子どもの躁うつ病患者がそんなにいるわけがない」などの批判を受けています。実際アメリカ以外の国で子どもの躁うつ病がここまで増えた国はありません。
うつ病の増減関心度で左右
精神疾患の場合、メディアの影響力がいかに大きいかを示すデータがあります。02年、WHOが不安障害やうつ病を抱える人がどれだけいるのかを調査しました。それによると、不安障害や気分障害を抱える人がもっとも多かったのはアメリカ、2位はニュージーランドでした。
両国だけに共通すること、それは処方薬のコマーシャルが認められているということです。「あなたはうつ病かもしれません、○○があなたを救う」とか「○○は不安のないあなたを取り戻す」など、商品名そのものを出すコマーシャルが日常的に流れています。両国以外の先進国では、そうしたコマーシャルは許可されていません。
朝から晩まで精神疾患のコマーシャルを見聞きすることによって、病気への意識がすごく高まります。それで患者さん自体が増えるのです。うつ病患者の多さとか少なさに、もっとも大きく影響するのは、病気への関心度ではないかと思います。
過剰に悩むのはかえって逆効果
最近の精神科外来には軽いうつ病の患者が増えています。それほど抑うつ的になる以前に受診する人もいらっしゃいます。
世の中が早期受診を勧めているから当然ですが、そういう方にどう対応するかは結構難しいですね。精神科に来れば多くは病気として対応することになります。問題なのはそれが本人の心の成長に役立つかどうかです。
心の健康度という観点から見た場合、気をつけなければいけないのは「問題点を過剰に意識しすぎると、逆に心に悪い影響を及ぼすこともある」ということです。たとえば、人間関係が上手くいかないと「自分はなんで他人と上手くやれないのだ、自分はダメだ」と悩みすぎて悪循環になってしまいがちです。
精神科の場合、問題点に気がつかないで支障をきたすよりも、過剰に悩みすぎてうまくいかなくなるケースのほうが多いのです。むしろ「人間関係が上手くいかなくても死ぬわけじゃない」というふうに視野を広くとって、あまり深刻に考えないほうが、うまくいくことも多いです。
人間は機械ではないので、問題点を治さないと動かないわけではありません。過剰に問題点を意識しすぎて、抑うつ的になったり、自信をなくしたりする人も多いので。要は個人が楽しく生きていければそれでいいわけです。過剰に問題点を治そうとするよりも、自分の長所を伸ばす方向に意識を置いたほうがいいと私は思います。
冨高辰一郎(とみたか・しんいちろう)
1963年大分県生まれ、精神科医。九州大学医学部卒。内科研修後、東京女子医大病院精神科にて精神科研修。日本学術振興会在外特別研究員としてカリフォルニ ア大学サンフランシスコ校にて薬理研究。精神科病院勤務、東京女子医科大学精神科講師など歴任。専門は、産業精神医学、精神薬理、性格学、医療情報。
冨高辰一郎さんの著書

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