連載「不登校50年証言プロジェクト」


 「不登校」とは「病気」「経済的理由」「その他」と並ぶ「理由別長期欠席」の一類型である。1966年、当時の文部省が学校基本調査において「理由別長期欠席」のうち「学校ぎらい」も調査し始めたのが、不登校の原型であるとされている。まず類型における課題を1つだけあげるならば、不登校は「児童生徒の心理的理由」に焦点を当てた類型になっているが、子どもの内面になぜ問題を見出すようになったのか、その社会背景的な理由について説明があいまいなままとなっていることだろう。
 

昭和20年代の長期欠席者に

 
 不登校が注目される以前、長期欠席は「貧困にあえぐ子どもへの教育機会の保障をどうするか」という教育行政上の課題に位置づけられる傾向にあった。それゆえ、戦中期・戦後期を経験した者にとって学校に対する心理的な忌避感を理由とした長期欠席(不登校)は概念として発想しにくかったともいえる。しかし、1966年以前の「経済的理由」や「病気」による長期欠席者のなかには、不登校に関連する問題認識を持っている当事者も存在するのではないだろうか。

 そこで今回の証言プロジェクトでは最首悟氏にインタビューを行なった。最首悟氏は不登校経験者らが集うシューレ大学のアドバイザーであり、重度の重複障がいを抱える子どもの保護者であることが有名。その一方で、自身は義務教育の学齢期にあたる昭和23年からの3年間を長期欠席しており、本紙でもその経験談を語ったことがある(本紙22号)。最首悟氏には、①戦中・戦後の学校経験と長期欠席の経験、②子どもの就学上の問題経験に関してお話をうかがった。
 

欠席「理由」は区分できない

 
 インタビューからわかったのは、貧困とそれに伴う医療衛生面の欠陥という戦後の日本社会が直面した問題に即して長期欠席の経験が語られたという一面である。最首氏によって語られた小学生のころに父を亡くしたという経験、その父から結核を感染していたという経験、さらに少年時代に悩まされたぜんそくの発作などのエピソードは、長期欠席の類型に当てはめれば、家庭の「経済的理由」と「病気」にあたるだろう。しかし他方では、国民学校在籍時に朝礼で倒れた経験や、学校の規律につまらなさを感じていたことなど、学校というシステムへの違和も語っている。これらのエピソードには、今の「不登校」に該当する(当事者側の)問題(意識)の特徴も含まれるだろう。
 
 長期欠席も、不登校も、子どもが学校を休むことに関して教育行政が付与した社会問題の名称である。こうしたラベリングによって、社会問題の認知が左右されることにもなるのだが、あるカテゴリーによって集約・分類することは難しく、截然とわけることも難しい個人の経験はたしかにある。
 

自己否定を愛好する文化

 
 最首氏は「日本社会は自己否定を愛好する文化」だと語った。その文化が学校へ行かない当事者に否定的な自己イメージを与え、不登校を無理に学校へ戻そうしていくことにつながっていると疑義を唱えた。
 
 総じてインタビューは、学校/教育行政の権力規制の歴史性が現在の学校教育の抱える問題にも連なっているということを考えざるを得ない内容となった。(加藤敦也)

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