不登校新聞

442号 2016/9/15

“死にたい”という子どもの本音は

2016年09月13日 16:27 by motegiryoga
2016年09月13日 16:27 by motegiryoga


 今回インタビューしたのは、岡田沙織さん。幼少期からさまざまにつらい体験をされ、いまはその経験を活かして若者の無料相談を行なっている。苦しむ若者へのメッセージなど、岡田さんの思いをうかがった。

――どんな子ども時代をすごされてきましたか?
 
 本当にいろんなことがありました。まず4歳のときに両親が離婚しました。父は暴力をふるう人で、母は私をつれて家を出て、祖父の家に住みました。しかし祖父も怖い人で、私が勉強しないと殴りました。母も夜の仕事をしていて、家になかなか帰ってこなかったです。
 
 小学校にあがって、祖父の家を出て母と二人で暮らし始めましたが、母は仕事から帰ってこないので、ずっと一人でした。夜遅く母が帰ってくると、仕事のストレスからか「あんたなんか生まなきゃよかった」と私に当たりました。
 
 そんな生活でしたので、じょじょに私の心は壊れていったんだと思います。小3のとき、包丁をもって泣いていた記憶があります。そのころから、常に死が隣り合わせでした。「私はなんで生まれてきたんだろう、なんで生きているんだろう」という思いがずっとありました。愛がほしくて、誰かにそばにいてほしくて、とにかくつらかったですね。
 

"居場所”求めて さまよっていた

 
 中学生になって初めて、自分と同じ、両親が離婚している子に出会ったんです。その子といっしょに、タバコや万引きなどをしました。いわゆる「不良」というよりは、いろんなことに手を出しながら、「私が居ていい場所」を求めて、さまよっていたんだと思います。
 
 その後、公立高校に進学したのですが、母に「金食い虫!」と怒鳴られ、「じゃあやめてやるよ!」と、中退してしまいました。そして15歳で水商売を始めました。そこから人生がさらに下り坂になっていったように思います。キャバクラで出会ったやくざの人に気にいられて、ドラッグをやったり自殺未遂をしたり。それもすべて「私の居場所」を探しての行動だったと思います。ドラッグやリストカットをして、つらい現実から逃げていたんです。10代のころはいま考えても、いい思い出がひとつもないですね。

――つらいときはどういう思いでしたか?
 
 「死にたい」と思っていました。「死んで逃げたい」と。もう私の思考のくせになっていると思うんですが、いまでも、なにかつらいことがあるとかならず「死」が頭をよぎります。
 
 でも、不思議なことですが、逆に「死」が心の支えにもなっていました。なにかあったら「死」という逃げ場があるんです。「いつ死んでもいい」と思うと、心がタフになって、ちょっとやそっとじゃ傷つかなくなります。「死」を思うことで生きてこられた、という側面もあったんです。
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