不登校新聞

445号 2016/11/1

なぜ「学校の聖性」は失われていったのか【不登校50年】

2017年05月24日 10:33 by kito-shin
2017年05月24日 10:33 by kito-shin


連載「不登校50年証言プロジェクト」


 精神科医の滝川一廣さんと初めてお会いしたのは岩波書店の会議室で、1997年のことだった。私がずっと愛読している同氏の著作『家庭のなかの子ども 学校のなかの子ども』(岩波書店、94年刊)の表題ページには、そのときにお願いした著者としてのサインが記されている。私がそんなことをお願いしたのは『学歴社会 新しい文明病』の著者ロナルド・ドーアさんと滝川さんだけだ。
 
 2016年8月19日に「不登校50年証言プロジェクト」の一環で、山下耕平さん、貴戸理恵さんとともに神戸で同氏にお会いしたのは、だから、ほぼ20年ぶりということになる。これを機会に、すっかり手垢によごれた『家庭のなかの……』を読み返してみたが、20年を越える歳月を経てなお、「不登校」論としても目配りの行き届いた著述として色あせることがない。
 
 初めて手にして、これは信頼を寄せるに足る本だと思ったのは、そのよく考え抜かれた文体とともに、「あとがき」の冒頭に記された、つぎのような自戒のことばゆえである。精神科医としての滝川さんは、この本を書くにあたって、自分が携わった臨床事例についてはいっさい触れないという方針を守りぬかれている。それは、「もとよりプライバシー保護への配慮からであるが、直接に接した子どもたちを自分の論述の生身の素材にすることに、それだけに尽きないためらいがあった」(281p)からである。この「ためらい」こそが、同書の懐を深くしているのである。
 
 1991年の夏に「学校に行かない子と親の会(大阪)」の結成に参加した私は、時をおかずに、「学校に行かない子」と精神科医や心理療法家との不幸な出会いを何度も見聞きすることになった。一例だけを挙げる。当時、朝日新聞に連載コラムを寄稿していた精神科医は、そこでかなり具体的に自ら扱った「症例」に触れていた。「あれは、自分のことだ。それをあんなふうに書くなんて……」と吐き捨てるように言った少年がいた。それは、私に向けた警告でもあった。
 
 滝川さんは、臨床事例について語るのを控えるかわりに、子どもの育ちの「危うさ」を雄弁に物語る文学作品を数多く同書で取り上げている。それがまたこの本の魅力となっている。『ピーターパン』や『風の又三郎』、『銀の匙』や『ピノキオ』などなど、滝川さんの案内に手引きされて、私もまたこれらを読み返して得ることがたくさんあった。
 
 「大阪の会」の発足には、同じ精神科医の渡辺位さんのお力添えが大きかった。それもあって、渡辺さんに対する滝川さんの距離の取り方からも多くの示唆を受けていることを書き添えておきたい。(山田潤)

精神科医・滝川一廣さんのインタビューはこちら(無料公開)


 

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