連載「不登校50年証言プロジェクト」


 今回は、弊社が行なっている「不登校50年証言プロジェクト」より教育学者・大田堯さんのインタビュー(約1万4000字)を割愛して紹介する。全文は本紙特設ホームページにて無料公開中なので、ぜひ読んでいただければと思う(聞き手・奥地圭子)。

――大田先生は「教育はいのちから捉える」という考えが根本におありですね。
 
 1950年に朝鮮戦争に入って、社会が反動的になっていきますよね。
 
 教育も、検定教科書制度が始まったり、教師の身分を支配したり、上から押しつけてくるようになって、私たちはその一つひとつに抵抗しなければならなかった。そのなかで、学びについて仲間と議論をくり返したり、文章を書いたりしてきました。そうしたなかで、教育とは「いのち」と関係があると考えるようになりました。お上からではなく、われわれ自身の持っている、いのちから問題を考えなければならないと、思うようになったのです。
 
 いのちについて、理論的に一番大きなショックを与えたものは、じつは自然科学だったんです。1950年代に、葉っぱも私たちも、みんなDNAからできているということがわかりました。そのとき自然科学者たちは、葉っぱと、私たちとのあいだに、いのちという共通性がある、そこに大発見の意味を見ていたわけです。
 

自然科学から得た着想

 
 ところが、僕の立場からいうと、一人ひとりの子どもが問題になりますので、その子その子のDNA構成は一人ひとりみんなちがっている、そういうちがいにこだわるということなんです。個体がいのちの支え手であり、それぞれみんなちがっている。これは、たいへんすごいことです。いわば基本的人権の科学的基礎が、そこで発見されたと言ってもいいようなものです。
 
 自然科学者が、あくまでも物的研究として見ているところを、僕は「問いと答えのあいだに生命が動いている」と見たわけです。「問いと答え」というのは、問う者と問われる者、主体と客体とがあるということです。その相互作用が、ちがうDNAを持つものと接触したとき、自分が変わらざるを得ないという現象になっているのではないかと考えたんです。
 
 自分という存在は、ほかの人と異なるDNA、ユニークな設計図を持っている。ですから、まわりにある人は(物質もそうですが)異物なわけですよね。それを主体と客体、主体と環境と考えると、人間という主体は、一方は自己中心に走りがちで、他方は他者依存に走りがちです。人間は、内に向かう欲求と外に向かう欲求と、二つの相反する欲求が交錯しあっている。そこに折り合いをつけるために、人間自身が変わる。それをずうっとやり続けているのが、いのちというものではないか、と考えてみたわけです。
 
 分子生物学が発見したのは、生命が変わり続けるなかでもDNAの構成は変わっていないということです。「変わっているけど変わらない」これは、最近10年の分子生物学の定説です。ですから、「みずから変わるけれども変わらない」、これが生命個体の特徴なのだ、ということが浮かび上がってくるわけですね。
 

人間の持つ根源的自発性

 
 葉っぱが自分で太陽のほうを向くとか、風をよけるとか、そういうふうに自分と他者との関わりのなかで、みずから少しずつ変わりながらも、基礎の部分は変わらない。生き物というのは摩訶不思議なものです。そういう見方をすれば、人間も、それぞれみんな、みずから変わる力、根源的自発性を持っているんです。ノミなんかでも、僕らがたたこうとすれば逃げるわけで、根源的自発性を持っている。根源的に自らを守っていく自発性を持っている。そういうふうに、重く、重くとらえることができるようになったんです。


 
 その、みずから変わる力を励ましていくこと、新しい情報を提供することで、みずから変わるのを助けてあげるのが教育なんじゃないか、と。変わるということは学習を重ねることです。生涯を貫くのは、みずから変わるという生物の根源的自発性によるんだ、と。こういうふうに、僕はいま、理論を立てているわけです。

――根本に立って考えると、いろんなことがつながって見えますね。それと関連して、「学習とはなんだ」というところをお話しいただけますでしょうか。
 
 学習は、根源的な自発性に立っています。植物が根をおろすような、そういう自発性ですね。一人ひとりの子どもが自発的に、外との関係、教師との関係に折り合いをつけて、自分らしいスタイルを身につけているわけです。だから先生の言っていることがみんなに同じように伝わるのではなくて、みんなちがうふうに受けとめている。なかには拒否している子どもがいても、けっして不思議ではないわけです。
 
 子どもを束にして教育するのは、便宜上のことであって、本当は個の問題が大事です。学習というのは、個体の現象で、個体の根源的自発性に根拠を持っている。その学習に学習が重なることで生涯が遂げられるので、学習が基本中の基本なんです。まず学習権があって、それを助けるのが教育なんだと考えると、教育の位置が変わっていく。教育を否定し去るのではなく、むしろ学習を助ける、介添えのほうへ位置づける、ということです。ですが、よほど慎重でないと、この仕事はなかなか難しいと思います。一人ひとりの受けとりがちがいますからね。
 
 ですから、教育はアートと考えたらよいんだと思います。アートというのは、根源的自発性で自己創造する、クリエイトするということですね。創造物ですから、教えたとおりになるということは、ありえない。教えたところで、結局は、その人なりの生命の発達の仕方をすると考えたらどうか、と思うんです。

――不登校というものは、どう見ておられますか。
 
 学校教育は、集団でやりますから、矛盾が起こるのは明らかなことなんです。そこで適応できない子どもが出てきても一つも不思議ではなく、まったく当然なことです。むしろ、積極的に学校教育のあり方を批判していいくらいです。学校教育を中心でものを考えないで、広い社会的文化的胎盤で考えていくという思いがあっていいんです。学校でなくても、たとえば小さな塾であっても、子どもたちが自発的にやっていく条件が満たされれば、それでいいと思います。
 
 日本では、人間の成長の資格をいちいち学校で決めるのが日常化しています。しかし、ヨーロッパの場合は、たとえばエンジニアのような職業は、工業大学で育つのではなく、現場で育つんですよ。職人組合(ギルド)の力が強くて、そこで力を磨いて良い職人になる。そういうものが日本にあってもいいと思うんです。
 

日本が学校に依存した理由

 
 日本が学校というものに依存したのは、早くヨーロッパのような近代国家にしたい、と思ったからです。まず学校をつくって、そこでエンジニアをつくる、官僚をつくる、ということを明治の初めからやりました。だから学校というものが重みを持って、それによって将来の職業が決まる、ということになっちゃったわけです。そういうところに、むしろ大きな原因があるわけだから、不登校はあり得てふつうだと思います。
 
 もっと視点を拡げて考えれば、いまの職業の全般的なあり方は雇用中心になっています。そしてその雇用は学校が支配しています。ヨーロッパのように職人で生きるというのは、雇用というよりも「就業」なんですね。しかし、日本では雇用が当たり前になっているから、みんな雇われて仕事をやらされている。つまり、自分本位の時間じゃない仕事をさせられている。しかも、それが大部分の社会の状況になっている。それに対して、自分が好きなことで、何か社会に役に立つことができる仕事をするというのが、就業なんです。その就業のチャンスが、日本社会では非常に狭いんですよ。
 
 だから、学校からはずれる子どもが出てくるんです。雇用社会から就業社会へと、生命本来の姿を大事にする方向に社会を向けていくこと。モノからいのちへ、雇用から就業へ。そういう大きなスケールで未来を考えていくことを、私は夢にしています。

――ありがとうございました(聞き手・奥地圭子)。

■大田尭さんの略歴
(おおた・たかし)1918年広島生まれ。教育研究者(教育史・教育哲学)。東京帝国大学文学部卒業。東京大学教育学部教授、学部長、日本子どもを守る会会長などを歴任。著作に『かすかな光へと歩む』(一ツ橋書房)、『教育の探求』(東京大学出版会)、『教育とは何か』(岩波新書)など多数。2013年、これまでの講演・論文の中から、大田さん自身による大幅な加筆を経た『大田堯自撰集成』(全4巻)を藤原書店より上梓。

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