今号は2016年12月17日、千葉県佐倉市で行なわれた講演会「働きたいけど働けない…どうする?」の講演抄録を掲載する。主催はNPO法人「ワーカーズコレクティブ風車」。登壇者の一人の林恭子さんは、不登校・ひきこもりの経験者であり、現在は「ひきこもりUX会議」や「ひきこもり女子会」などの活動に取り組んでいる。

 本日のテーマ「働きたいけど働けない…どうする?」について、まずは私の体験談をお話し、後半で具体例を交えながら「働くこと」について考えていきたいと思います。
 
 私は16歳で不登校になり、27歳で再びひきこもってからは2年ほど、家からほとんど出ない生活を送っていました。それ以来ずっと生きづらさを抱えて生きてきました。
 
 なぜ、学校に行けなくなったのか。身体の具合が悪くなり、行きたくても行けなくなったのがそもそもの始まりでしたが、「これが原因だ」というのは後々までわかりませんでした。
 
 その一端が垣間見えるようになったのは、20歳をすぎてからです。一つは、母との確執でした。厳しく管理的な母に育てられたことが大きく影響していました。
 
 もう一つは、学校そのものへの疑問でした。私がずっと疑問に思っていたのが「校則」です。父が転勤族だったため、全国各地の学校に通いましたが、最初の学校では白の靴下を三つ折りにしろと言われ、転校先ではそれを伸ばせと言われる。四国に住んでいたころに通っていた学校では、髪の長さまで決められていました。なぜそこまで学校に管理されなければいけないのか。誰も理由を教えてくれませんでした。そこに、社会の息苦しさを感じてしまったんだと思います。
 
 高校中退後は通信制高校を経て大学にも入学しましたが、そこでも不登校になりました。心身ともにボロボロの状態で、今思えば、とてもじゃないけど、学校に通える状況じゃなかったんですね。
 
 両親からは「学校に行かないなら働け」と言われていたので、20歳をすぎたのを機に、アルバイトを始めました。そのときも満足に働けるような状態じゃなかったんですが、働かなければ映画を観るお金もないし、どこかに行く交通費もない。文字通り、震える身体を引きずりながら働いていました。心をすり減らしながらの毎日でしたので、精神科に通い、もらった薬を飲みながらがんばっていましたが、もはや薬代を稼ぐために働くような状態でした。そんな日々に疲れはて、ひきこもるようになりました。

「とりあえず」それが難しい


 当事者が感じている生きづらさや気持ちは、親御さんや支援者の方々にはなかなか理解しづらい部分があると思います。「かんたんなアルバイトから始めてみれば」って親御さんは言いたくなるでしょうし、ひきこもり支援というのはたいてい「就労支援」です。つまり、「とりあえず働いてみないか」という提案なわけですが、それができれば苦労しません。
 
 では、何がそんなにつらいのか。

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