自分にも他人にも正直に、つながりはそこから広がる
今回は、芸術家の武盾一郎さん。1995年当時、東京・新宿駅の西口地下道にあった段ボールハウスにペインティングをする武さんの活動はメディアにさまざまなかたちで取りあげられ、大きな注目を集めた。武さんの10代、20代のころのお話や「絵を描く」うえでのこだわりなど、子ども若者編集部がうかがった。
――武さんの子ども時代からお聞かせください。
小学生のときはマンガ家にあこがれてたんです。漠然とした子どもの夢だったけど、いまもこうして絵を描いているわけですから、「絵を描く」ということは、昔からぼくの根っこに自然とあるものなんだと思います。ただ中学生になると、ロックにしびれまして(笑)。
家にはビートルズやピンクフロイドといった洋楽のレコードがけっこうそろってたんです。そのうち友だちとバンドを組むようになって、音楽漬けの毎日でした。
20歳すぎて、「バンドにかけてみよう」と一念発起して大学を辞めちゃったんです。国立の大学だったし、卒業後はサラリーマンにもなれただろうけど、「本当に勉強が好きだったわけじゃない」って思いがずっとぬぐえなかったから。好きなことを見つけようと努力するんだけど、10代のころは自分に自信が持てなかったし、「コレが好きだ」って言い切れるものも見つからなかった。だから、大学を中退したときは「人生かけてみようって思えるものがやっと見つかった」という喜びのほうが不安より大きかったんです。
大きな挫折が絵を始める契機
東京でバイトしながらがんばってたんだけど、音楽で食べていくのはなかなか難しくて、そのうちバンドは解散。失恋もあいまって自暴自棄になってしまい、うつ状態に。病院で薬をもらったりもしました。
そんなとき、妹から「絵を描くと心にいいよ」とすすめられたんです。もともと絵を描くのは好きだったからか、しだいに気持ちが楽になっていきました。ぼくが本格的に絵を描き始めたというのは、25歳になってからなんです。
――95年、新宿西口にあった段ボールハウスに絵を描くという発想はどこから生まれたのでしょうか?
絵を描いているうちに、「自分の絵ってなんだろう?」っていう壁にぶつかったんです。いまでは「pixiv」(会員制のイラスト投稿サイト)とかに絵を載せればたくさんの人に見てもらえるけど、昔はそんなネット環境もない。たくさんの人の目に留まるような場所に絵を描きたいと思っても場所がないんです。
たまたま通りかかって見つけたのが当時、新宿駅の西口地下道にたくさんあった段ボールハウス。「この段ボールハウスに絵を描かせてください」ってダメもとでお願いしたら、快くOKしてくれて。もしも最初に声をかけた人に断られていたら、あっさりあきらめてたと思う。ホームレス問題に興味があったわけでもないし、たまたまの思いつきで始めたことだから。ただ、それが自分の人生にとって大きな転換点になったことはたしかですね。
――その後は?
廃寮問題で揺れる東大の駒場寮や、神戸大震災の被災地でも絵を描いていて、2000年に東京に戻ってきました。自分の絵がアンチテーゼを含むメッセージとして社会にアクセスできている、社会にある差別を無効にできるものだと信じてたんです。
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