不登校新聞

455号 2017/4/1

学校から「逃げる」とは【不登校50年/公開】

2017年05月23日 16:39 by kito-shin


 中島浩籌さんは、「逃げる」をテーマにしてきた人だ。高校教員をしていたものの、具体的なトラブルがあったわけではないのに、学校に行こうと思っても脱力感が出てきて、いわば教員の「不登校」に。学校から逃げ出した。
 
 その後、中島さんは横浜YMCAのフリースクールに関わったり、河合塾COSMOの講師をしたり、東京YMCAのオープンスペースLibyに関わってきているが、そのベースにあるのは、不登校の「逃げる」感覚へのシンパシーだったのだろう。
 
 中島さんは、子どものころから「他人って何だろう」という感覚があって、ときどき離人感もあったという。だから、濃く熱い関係がきつくなると逃げ出したくなる。薄く弱い関係のほうが心地よい。しかし、逃げるというのはダメなことでも悪いことでもなくて、創造的な行為でもあるという。フランスで哲学を学ばれていた中島さんは、フーコーやドゥルーズといった哲学者にも直接学んでいるが、ドゥルーズのテーマのひとつは「逃げる」ことだ。そうした哲学者が考えていることと、不登校などから見えてくることは同じことだと中島さんは言う。
 

「病気」をめぐって

 
 しかし、ややもすると、「逃げる」ことは病気扱いされてしまう。実際、登校拒否・不登校は病気扱いされてきたわけで、無理な入院治療など、さまざまな問題が起きてきた。しかし、そこで「登校拒否は病気じゃない」と言うとき、「では病気とは何なのか」という問いが立ち上がる。そして、いまや心理学では、病気を問題視するというよりも、「心の健康」が目指されていて、すべての人に自己コントロールが求められるコントロール社会になっている。
 
 不登校でも発達障害でも、早期発見・早期対応が言われる。一昔前であれば、学校が絶対的に思われていた反面、学校から撤退すれば逃げることができたと言える(それは、いまよりずっと痛みをともなうことだったにちがいないが)。いまは柔軟化した反面、コントロールの網の目が切れ目なく張りめぐらされていて、根本的に学校を問い直したり、俯瞰して物事を観て考えるようなことは、かえって難しくなっている。
 
 そういうなかで、いかに「逃げる」ことを「共に」していけるのか。それは「どこかに理想的な空間をつくればいいということでは済まない。そうすると現実の社会のなかに、『特別な場』をつくることになり、『特別な支援』『特別な教育』を受ければよいというかたちになりやすくなる。それでは『あの人たちは特別な人たちだ』という周囲の眼差しを強めてしまうことになりかねない」と中島さんは言う。
 
 それは教育機会確保法をめぐる議論でも、問題になったことでもある。学校/学校外という図式は、いまや成り立たない。学校でも学校外でも、「総活躍」をまなざされてしまうなか、どうやってそれをズラしつつ、「共に」やっていけるのか。かんたんな解決策は見えないが、それだけに、本インタビューは今後を考えるうえで大事な内容になっていると思う。(山下耕平)

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