いじめっ子が、相手が死を選ばざるをえないほど攻撃を加える。その事実が発覚すると、メディアは学校と教育委員会を攻撃し、ネットでは加害者(家族も含む)叩きが展開される。大津市における事件は、過去の同様の事件に対する反応と判を押したように同じ攻撃サイクルのくり返しである。このような負の連鎖から、何が生み出されるのであろうか。80年代の半ば以降、間歇的にくり返されてきたいじめ論議をふり返るかぎり、何の打開策も、もたらされることはないといっていい。いじめ自死事件は、哀しいことだが、途絶えることなく起こるであろう。そして、人々の関心はすぐに薄れ、これまで通り何年かの間隔をおいて、ふたたび同じ論議がくり返されることになると思うと苛立ちを禁じえない。
教育現場の相も変わらぬ情報秘匿の姿勢は十分に非難に値するし、いじめの原因を究明することも重要である。しかし、いつもそこで留まってしまい、その先の展望が見られない。大切なことは、被害を受けた側と加害者側、および仲間や学校関係者が、これからどのように生きていくか、そしていじめを軽減する手立てをどう講じるかということである。攻撃のスパイラル状態に陥ってしまい、関係者すべてが消耗してしまうような構造からは、けっして何も学びとることはできない。
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