連載「不登校50年証言プロジェクト」
読者のみなさんは『エジソンも不登校児だった』(筑摩書房/90年刊)という本をご存知でしょうか。読んだことはないけれど、聞いたことはある、という人もいることでしょう。今回の証言プロジェクトで登場いただくのは、この本の著者である若林実さんです。
若林さんは、現在79歳。80年代から小児科医として働いてこられ、現在も「横浜家庭学園」の医務室(学校でいえば保健室)に週1回勤務されている現役のお医者さんです。その医務室にうかがいました。
『エジソンも不登校児だった』は1990年2月に出版されていますが、執筆当時、若林さんは「国際新善病院」にお勤めでした。
まもなく『アインシュタインも学校嫌いだった』(筑摩書房/93年刊)という続編を刊行されます。というのも、80年代から90年代にかけて、不登校は「病気」と捉える医者が多く、精神科などでは、強制入院や薬漬けもありました。また「母原病」という言い方も広がっていました。若林さんは「そうじゃない」ということを伝えたくて書いたそうです。「不登校は病気ではない」と言っていたのは渡辺位さんらをのぞくと、若林さんがいた国際新善病院くらいだったそうです。
本が出版されたころ「登校拒否を考える各地の会ネットワーク」(現・登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク)が誕生し、各地の親の会は若林さんを呼んでお話を聞きました。そして、親の会の通信を若林さんのところに毎月送る会が増えたのですが、驚いたことに、その通信を送ると、礼状と感想を書いた葉書がかならず届くのです。そのまめな交流が十数年続きました。
「不登校は治すもの」という日本社会において、若林さんの存在は、不登校の子どもや親が安心し、わが子をありのままを受けいれていいんだと思えることにつながったのです。
若林さんは「専門家に頼ってはダメ」とおっしゃっています。「昔は町や村のお医者さんが全部診たけれど、現在の専門家は非常に視野が狭くなっています」と話されたことに共感しました。
「私がどうしてこういうことをしだしたかというと、戦争体験がひとつのきっかけなんです」と若林さんは言います。先見の明があった父親が疎開させた話(昭和19年)。昭和20年に起きた横浜大空襲の話。戦争が終わった小学2年生の夏、新学期が始まると、先生の話がガラっと変わったという話。横浜は米軍の兵舎だらけで沖縄と同じだった話などお聞きしました。「えらい人の話を鵜呑みにしてはいけない」と思うようになった小学生のときの原体験でした。
「不登校」という言葉を使い始めたのも、文科省に10年も先立っておられるのですが、子どもの側に立ってきた若林さんからすると「だって、行ってないんだから『不登校』、そう言うしかないでしょう」との答え。子どもが自殺にまで追いこまれている学校信仰社会のなかで、一貫して子どもの命を守ってこられた人生に強い感動をおぼえたインタビューでした。(奥地圭子)
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