連載「不登校50年証言プロジェクト」


 清水將之さんは、児童青年精神医学会の立ち上げ当初から関わってきた児童精神科医で、不登校という言葉を最初に使い始めた方でもある。本プロジェクトにおける重要人物だと思い、インタビューのお願いを手紙にして差し上げたのだが、「ここしばらくは不登校と正面から関わってなかったので」ということで、最初は断られてしまった。「残念」とあきらめかけたものの、もう一度、こちらの趣旨を書いて、「お気持ちが変わるようであれば、再考ください」とお願いしたところ、「1カ月ほどお待ちください」とご返事があった。神戸にお住まいなのだが、三重県津市に書庫があって、そこに何度か出向いて、古い資料を読み返して、インタビューの準備をしたいとのことだった。

 そして1カ月ほどして、インタビューの構成案が送られてきたのだが、「平安時代から話したい」とのこと。実際、インタビューは、さらにさかのぼって、701年の大宝律令から始まった。学校というものが、近代化のなかで、富国強兵のために上から押しつけられただけではなく、民衆にとっての学び場として成り立ってきた面があること。福祉にも同じような面があり、そのせめぎあいの歴史をふり返りつつ、不登校、発達障害、児童精神医学のそもそもを問い直しながら、お話いただいた。

 また、学校の精神保健にも長年関わり、いまなお、青森などにも定期的に出向いているとのこと。私が「80歳代にして、活動的でいらっしゃいますね」と言うと、「多動爺だと言われてます(笑)」とのことだった。インタビューを通じて、清水さんが、医療の枠組みを超えた広い視野を持ちつつ、精力的に病院以外の現場にも関わり続けてこられたことがうかがわれた。そして、次のように語っておられた。

 「本来、児童精神科の臨床というのは、医療、保健、福祉、教育の4つの領域が積み重なったうえに成り立つものです。それは、医者にできるところはかぎられているということでもあります。そこをしっかり理解していない医者は、ほんとうの児童精神科医とは言えません。そういう意味では、日本にどれほど児童精神科医と言える医者がいるか、疑問ですね」。

治療の主役は


 そして、投薬治療一辺倒になっている精神医療の現状は「おおいに問題」で、治療の主役は「育ちをサポートするネットワークをどう構築するか」だと話しておられた。

 不登校が医療の対象とされ、閉鎖病棟などで人権侵害と言える状況もあったこと、いまなお過剰に医療の問題にされている面もあることは、重要な問題だ。しかし、一方で社会批判に傾きすぎていた時期もあると清水さんは言う。そして、いまはまた、発達障害という枠組みで、不登校は別のかたちで医療に回収されている面がある。

 不登校に関わる人たちは、短絡的に医療を否定するのではなく「問題」を丸抱えするのでも、丸投げするのでもなく、連携してネットワークを構築していく必要があるのだろう。そういう意味で、たいへん勉強になるインタビューだった。(山下耕平)

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