不登校新聞

460号 2017/6/15

わけのわからん子どもを相手に 竹淵陽三さんに聞く【不登校50年/公開】

2017年06月12日 14:45 by kito-shin
2017年06月12日 14:45 by kito-shin


連載「不登校50年証言プロジェクト」


 竹渕陽三さんは、不登校を論じてきた方ではない。「情緒障害児短期治療施設(情短施設※)」の児童指導員として、さまざまな困難を持つ子どもたちの「生活」に寄り添ってきた方だ。牧師の家に生まれ、少年院の法務教官を経て、1962年から1989年まで大阪市立児童院という情短施設に勤めた。そこでは、「学校恐怖症」(現在の不登校)や「非行」などの問題を抱えた子どもたちが入所し、一定期間、集団で生活しながらケアや教育を受けていた。
 
 情短施設の子どもたちは、専門家や教師の前では緊張して硬くなったり、「いい子」を演じたりする。ところが、「ご飯を食べて、人と関わり、眠る」という日常と付き合う生活指導員の前では、子どもたちは素の自分をさらす。竹渕さんはそれを「どろくさいところでの関わり」であり「一番大事なこと」だったとふり返る。
 
 医療や教育などの専門家は、子どもの特定の側面にフォーカスし、「この子の状態はこうだ」と解釈したり、名づけたりする。それは「問題の理解」には必要なことだろう。だが「目の前にいる子ども」をひとりの人間として丸ごと見てきたのは、竹渕さんのように、子どもたちの生活に伴走してきた人たちだったのだろう。竹渕さんの語りには、「学校恐怖症」「情緒障害」といった専門用語はほとんど出てこない。「わけのわからん子どもを相手にしてね」と語られるように、まなざしの先にはいつも解釈される以前の生身の存在がある。
 
 そんな竹渕さんを慕って、情短施設で出会ったかつての子どもたちが、いまも竹渕さんのもとを訪れる。「竹の子会」のみなさんだ。今回、4人の方にお話をうかがったが、そのうち3人は、さまざまな理由から学校に行くのがつらくなり、児童院に入所した経験を持つ。このインタビューでは、そうした入所の体験もうかがっている。親元から突然離されることの絶望や過酷ないじめなど、壮絶な語りも多い一方で、児童院での新たな出会いや、生活のなかで腹をくくって人生を仕切りなおしていくさまが語られている。
 
 「子どもが学校に行かない」という現象に対しては、時代背景によって、さまざまな理由が語られてきた。分離不安、受験競争、いじめ、発達障害…。けれども、「理由なく学校に行かない・行けない」という現象は、いつの時代も存在し続けてきたのであって、それは、当然だとも言えるだろう。
 
 「不思議ですよ、ほんまに。毎朝"行かなあかんな”とは思うんですけど、足が向かない。自分でもなんでかわからない」。そう語るのは、70年代に児童院に入所していたAさんだが、こうした感覚は不登校の経験を持つ多くの人が、いまも共有しているのではないだろうか。だとすれば、関わる側としては「問題を理解して対処する」ことにもまして、「人間として付き合う」ことが、もっとも基本的な態度となるだろう。「原点」を意識させてくれる、貴重なインタビューとなった。(関西学院大学准教授・貴戸理恵)

※情短施設……1961年の児童福祉法改正で定められた施設。当初は学校恐怖症(不登校)や年少非行児童のメンタルケアなどを目的とし、12歳未満を対象としていた。現在は被虐待児の入所が7割を占める。昨年4月からは法改正により、児童心理治療施設と名称変更。現在は全国に45施設ある。

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