一般的には、学校という場所に通えなくなることを不登校と呼びます。そのため、ふつうならば、学校に行けなくなって初めて別の場所を探すことになります。けれど、私の場合、別の場所が先にあり、それに付随して「不登校」になりました。
1990年、小学3年生のとき、私は東京・早稲田にある「東京シュタイナーシューレ」(「学校法人シュタイナー学園」の前身校)で学びはじめました。そこはアジアで最初のシュタイナー教育を全日制で実践する現場でした。
"不登校”だとみなされ
当時、シュタイナーシューレは法的には学校ではなく、無認可のオルタナティヴ・スクールでした。学籍のある学校には2年以上登校しなかったので、「学校」に通っているとはみなされず、私は知らぬ間に、「不登校児」となっていたのです。私は私の通学先が「学校」ではなく、私が「不登校」という位置づけになっていると知ったときには、深く傷つきました。
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