不登校を経験した息子さんを持つ長瀬晶子さん(仮名)のインタビューを掲載する。
――息子さんの不登校はいつから?
現在16歳になる息子は、中学2年で不登校になりました。兆候は、中学1年の終わりごろからあったんだと思います。中1のある日、学校から帰ってきて、制服を着たままパターンと倒れて、涙をぽろーっと流したんです。放心状態になっているような感じで「なんで勉強しなきゃいけないんだろう」「なんでイヤなことしなきゃいけないんだろう」とつぶやいていました。でも私にはなにも答えてあげられませんでした。その後、しばらくは行っていたんですが、中学2年のゴールデンウイーク明けからだんだん学校に行かなくなりました。
そのころは、夫とふたりでいろいろな声かけをしました。「義務教育の期間だけでも行きな」「学校に行かないなら、家で勉強しなさい」「そんなんで将来どうするんだ」。当時はなんとか息子が動き出してほしいという一心だったのですが、いまではどれもみんな、息子を追い詰めていた言葉だったのだとわかります。
そのころの私がどうしても受けいれられなかったことが2つあります。「昼夜逆転」と「ゲーム」です。小学生のころは、ほとんどゲームを買い与えませんでした。でも不登校になってからは「ゲームで気分転換をすれば学校へ行くかも」なんて魂胆で、ゲームを買い与えていました。結局、学校には行かれないし、息子は家でゲームばかりしている毎日でした。昼夜逆転もどんどん進行していって、「いったいどうなっちゃうんだろう」と不安でたまりませんでした。
"親の会”転機に
――転機になることはあったんですか?
私の場合は不登校の親の会に参加したことで状況が変わっていきました。私が参加したのは、毎月第3日曜日に「東京シューレ」でやっている「登校拒否を考える会」(℡03・5993・3135)でした。私は「息子がこんな状態なんです」と泣きながら話しました。そしたら先輩のお母さん方たちがケロッとして「みんなそうだったのよ」と。昼夜逆転やゲームにしても「なにが悪いの?」「好きなことを思いっきりさせてあげればいいじゃない」と言われて。私は最初はぜんぜんピンときませんでした。とにかく、昼夜逆転やゲーム三昧を受けいれている親御さんがいる、ということにまず驚きました。
また、別のお母さんから「うちの子もゲームばかりしているけど、最近はすこし元気になったみたい」という話も聞けました。「息子もいつまでもこのままってことはないのかもな」と少し希望が見えたんです。
それから、親の会で勧められた児童精神科医・渡辺位さんの『不登校は文化の森の入り口』を読みました。この本はいまでは私のバイブルです。そのなかにこんな話があります。
あるところに森があります。そこから少しはなれたところに、一本だけ小さな木が生えています。風が幼い木に「みんなから離れて、これからどうするつもりなんだ?」と聞くんです。すると木は風にむかって「風さん、それは、あなた自身があなた自身に尋ねてみることじゃないですか?」と返すんです。
この話を読んで「私と同じだ!」と思いました。私はいつも「あんたそれでいいの? これからどうするの?」と子どもを追い詰めていました。でも私のほうこそ、それでいいんだろうか、とはっとさせられました。
――その後は?
息子が不登校になって数カ月後の8月、さいたま市浦和で夏の全国合宿が開催されました。私は5歳になる下の息子をつれて、1泊2日で参加しました。そのときの教育学者・大田堯さんの講演や、シンポジウムでの親や子どもの話、すべてに涙がでるほど感動しました。
優しさに触れ、偏見が消えた
また、合宿に参加していた子どもたちが次男(5歳)の子守をしてくれました。彼らもまた合宿中はずっとゲームをしていましたが、その傍らで次男をやさしくかわいがってくれてたんです。「『ゲームばかりしている人』はコミュニケーションがとれない」なんて、思い込みだったと気づかされました。
合宿は全体的にとても優しい空気に包まれていました。今思い出しても涙が出そうになります。「昼夜逆転」と「ゲーム」に対する私の偏見はそのときを境にすこしずつ溶けていきました。いろんな人たちに助けられて、変わっていくことができたんです。
私が変わっていくのと同時に、息子も少しずつ動き出していきました。親の会で「ヒマだ~って言い始めたら、もうすぐ動き始めるよ」という話を聞いていましたが、本当にそうなんですね(笑)。ほとんど自分で調べて、説明会にも自分で行き、北海道の「北星学園余市高等学校」(0135-23-2165)に進学することを決めたんです。現在は北星余市で高校生をしていますが、日々は、「悩みもあるし、落ち込むこともあるけど、毎日すげー楽しい」とのことです。
息子の不登校中、忘れられない思い出があります。彼が中3の夏のときです。私は親の会に参加することで、少しずつ心に余裕ができてきました。そして「私も自分の人生を楽しもう」と思い、夢だったキャンピングカーでの旅行をしたんです。ペーパードライバーだった私が、もう一度講習を受けて、キャンピングカーを借りて、息子を乗せて数日間ドライブしました。楽しかったですよ。息子のおかげで、私は私を生きなおすことができたんだと思います。「生きてるだけで100点満点」という原点を、身をもって教えてくれた息子の不登校に、今ではとても感謝しています。
――ありがとうございました。(聞き手・茂手木涼岳)
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