不登校をした後、経験者はどんな進路を歩むのだろうか。彦田来留未さん、23歳。小学校から不登校をし、その後、いわゆる教育機関とは関わらずに生きてきた。「不登校、その後の歩み」を本人はどう捉えているのだろうか。
心と体はつながってる。無理して学校へ通うとき、布団のなかで「明日こそ学校に行かなきゃ」と考えてるとき、胃のあたりはずんと重たくて、それが全身に連鎖してだるかった。この健康じゃない気持ちが膨らむと、自分も誰かに嫌なことをしてしまいそうで怖かった。不登校をしたのは小学校4年生のときで、今は22歳だからもう10年以上前のことだけど、いまだに「あのときはイヤだったなあ」とよく覚えてる。転校先の学校で、男子が嫌がらせしてきたこと、先生が恐くて熱が出たこと、学校に行っていても、ついに限界が来て家で休んでも、学校に行かなきゃと焦り、休んでしまったと罪悪感を感じ、家族とケンカし、毎日が頭痛と腹痛と気分の悪さの連続で、なかなか休まらなかった。その後は家族の理解もあり家を中心にホームエデュケーションと、フリースクール東京シューレですごしていくなかで、いろいろな生き方をする人に出会い、だんだん体調も回復し「私は私でいいんだ」と思うことができた。そこから学ぶことのおもしろさや興味が広がっていった。
いろいろバイトをやった。社会に出ると規則に縛られ、優劣をつけられ、自分の気持ちを押し殺して働く大人もたくさんいた。その人たちのなかで働くと、自分が自分であることを忘れなければいけない。また知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまいそうな、学校に行ってたころと同じ窮屈さを感じた。社会の大多数の人の考え方に沿って生きることが大切で、安心という社会の価値観には違和感を感じ続けると思う。私にとって"豊かに生きること”は心の奥から湧き出る感情を大切にできること。将来の不安がないとは言えないし自信があるとは言い切れないけど、学校に行ったから、就職したからと言って今後の人生が保障されるわけじゃない。
いまは神奈川の福祉施設で働くかたわらで、3年前東京シューレのみんなでつくった『不登校の子どもの権利宣言』を広める活動をしている。この宣言を通して、学校外の選択をした私たちの生き方を多くの人に知ってもらいたい。先日祖母に活動を報告したら、「子どもが学校に行くことは義務だし、大学ぐらいは出てほしかった」と怒り出した。祖母は義務教育を誤解し、私が大学に行ってないことを恥だと思ってる。そうか、ばあちゃんは世界でたった一人の孫が不登校になっちゃった、と悲しんでる。私も悲しい。世の中の不登校への理解って、こういう感じなんだろうと実感した。命を削るように学校へ行ってつらい子どもたちが、理解のない言葉をかけられこんな思いをすることが減っていくよう、思いを発信し続けていきたいと思う。
(この記事は2012年11月15日『Fonte』350号に掲載された記事です)
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