連載「不登校50年証言プロジェクト」
児島一裕さんに登場いただくのは、じつは2回目。以前、大阪市立児童院(情緒障害児短期治療施設)で生活指導員をされていた竹渕陽三さんにコンタクトをとった際、偶然にも、児島さんが代理で返事をされてこられたのだった。児島さんは、1966年から1年10カ月、児童院に入所されていた経験があり、いまも竹渕さんを囲んで、当時の入所者で集まっているとのことだった(「#18竹渕陽三さんと竹の子会のみなさん」参照)。
まさか、竹渕さんに連絡をとって、児島さんと出会うとは思っておらず、たいへん驚いたが、さらに驚いたのは、その児童院での経験が、日本のフリースクールの草分けのひとつ「地球学校」の原点となっているということだった。ちなみに、本プロジェクトの関東チームの一員で、東京シューレ葛飾中学校のスタッフをしている木村砂織さんも、学生時代、大阪市立児童院で竹渕さんのもとに実習させていただいて、その体験は、たいへん印象深く残っているそうだ。
情緒障害児短期治療施設というと、不登校の子どもを収容して短期に治療するなど、問題だと見られることも多かったが、ことはそう単純ではないようだ。児島さんは、そのあたりについて「たぶん、人間の本質的なところにアプローチしていくと、似たようなカタチになるのかなと思います。人間に関わる仕事は、主義主張や思想ではないと思います。もっと、いのちの根幹的なところに何かがある」と話されていた。
児島さんは、日本のフリースクール運動における重要人物のひとりなので、今回は、児童院での経験だけではなく、アメリカでの経験、地球学校を始められた経緯、その後、現在にいたるまでの活動など、さまざまにうかがった。
まず、児島さんの、子ども時代からの破天荒とも言える遊びっぷりは、聞いていてすがすがしかった。「遊びをせんとや生まれけむ」ではないけれども、児島さんのベースには、一貫して遊びがある。
児島さんは、あくまで「自分に立つ」ことが大事だという。フリースクールのフリー=自由は、「自らを由とする」と書くように、自分を生きるということだと児島さんは言う。児島さんにとっては、形式的にうまくいくかどうかが大事なのではなく、自分自身がイキイキとした「遊び」を保っていられるかどうかが大事なのだろうと、お話をうかがっていて感じた。地球学校も、運営上は何も問題がなかったのに、あるとき直観的に「終わったんだ」と感じて、やめられた。児島さんの呼びかけで始まったフリースクールスタッフ交流会も、最初から10年だけと決めて、終えられている。
現在、児島さんは「地球大学」などの活動をされてる。
「自分自身を本当に整えることができたら、無限の可能性を実現できる。それをジャマしているのは、じつは頭、思考なんです」と、児島さんは言う。児島さんは、ある意味で、たいへんラジカルではあるが、一貫して自分に立脚しているように感じた。詳細は本編インタビューを読んでいただきたい。(本紙理事、プロジェクトチーム統括)
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