不登校新聞

471号 2017/12/1

映画「学校」のモデル 元夜間中学校教員・松崎運之助さんに聞く【不登校50年/公開】

2017年11月29日 09:52 by kito-shin

連載「不登校50年証言プロジェクト」



私が夜間中学の存在を知ったのは、映画「学校」だった(山田洋二監督/1993年)。「学校」では、さまざまな背景・年齢の人々が夜間学校に集い、懸命に学び合うようすが描かれている。それまで既存の学校しか知らなかった私にとって、とても衝撃的な出来事だった。

 「学びとは何か」「生きるとは何か」、そのヒントがこの映画からは得られそうで何度も観た。しばらくして、松崎運之助さんの著書「学校」(発行・晩聲社/1981年)と出会った。そのなかには、まさに「学校」に出てくる登場人物のエピソードが事実として描かれており、何度も読み返した。いつか松崎さんとお会いしたいと思い続け、今回かなうことができた。

 松崎さんは、1945年に中国東北部(旧満州)で生まれた。戦後の混乱のなか、命がけの逃亡を続けてようやっと日本にたどり着き、長崎市内のどぶ川に立てた掘立小屋で暮らすようになった。家は貧しく、お母さんが必死に働き、何とかその日をしのいでいく生活だった。学校では、いじめられ、先生からは心ない言葉を投げかけられる毎日だったが、当時、弟妹が通っていた保育園の保育士さんから「応援しているよ。がんばりなよ」と温かいまなざしで言われたことが、苦しさを乗り越える大きな原動力になったという。

 その後、三菱長崎造船技術学校、長崎市立学校(定時制)を経て、明治大学第二文学部に進学した。そこで教職課程を取り、夜間中学を教育実習先に選んだことが、松崎さんと夜間中学との出会いである。そこで、松崎さんはさまざまな背景を持った人々と出会い、「学び」とは何かをつきつけられたのである。卒業後は江戸川区立小松川第2中学校夜間部の教諭となり、映画「学校」に登場する数々のエピソードと出会っていくのである。

 昼間は肉体労働をしながら必死で通う勤労少年、学校から問題児として放り出され行き場をなくした女の子、在日一世として必死に生き抜いてきたオモニ(朝鮮語で「母親」)、貧困ゆえに教育に触れないまま何十年間も日本社会を下支えしてきた日雇い労働者、そして不登校の子どもたち。そんな厳しくも、たくましく生き抜いてきた人々との出会いを経験し、ともに生きてきたからこそ、松崎さんの言葉は温かく、真をついているのだと思う。

 夜間中学の話は、私が勤めるフリースクールと共通する部分がいくつもあった。ひとつは、夜間中学に入るかどうかは、本人自身が決めること、である。そしてその意思が確認できた以上、教師は全力でその気持ちに応えるのである。もうひとつは、「学び」はすでに用意されているものではなく、生徒と一体となってつくりあげていく、という点である。だからこそ、「学び」はエキサイティングで、おもしろいのである。2点ともフリースクールが大切にしていることである。

 また、東京シューレの母体となった「登校拒否を考える会」の発足に大きく貢献されたことや、80年代の不登校の状況など、参考になるお話をたくさんしていただいた。(フリースクール「東京シューレ」スタッフ・佐藤信一)

■松崎運之助さんのインタビュー本編はこちら

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