連載「不登校50年証言プロジェクト」
本プロジェクト開始以来、横湯園子さんにインタビューに行ってほしいという声は、幾人もの方からいただいていた。横湯さんは、1970年から1985年まで、国立国府台病院の「分校」で教員をされていた。当時、同病院の児童精神科医長は渡辺位さんで、同じ時期に同じ病院で、異なる立場から不登校に関わっておられた。
国府台病院での話は、渡辺位さんからもうかがったことはあったが、今回、横湯さんから、さまざまなエピソードをうかがって、ほんとうにご苦労があったのだと実感した。盗みがひどい生徒がいて、自分の給料袋まで盗まれたことがあったり、プロパンガスの栓が開けられていて、病棟があやうく吹き飛びそうだったことがあったり、「分校」の校舎は実際に事故があって、プレハブで授業していたこともあったという。
それでも、横湯さんは子どもの側に立って考えようとしてきたという。子どもの行動にはかならず背景があり、何に苦しんでいるのかがわからないかぎり、判断はできない。多くの教員は規則ありきで、規則に子どもをあてはめて見てしまっているため、行動の表面だけを見て判断してしまう。それはちがうのだと教えてくれたのは、不登校の子どもたちだったという。
しかし、横湯さんも3人の教え子に自殺されてしまった経験があり、それは整理しがたい経験としてある。どうすればよかったのかはわからない。ただ、それだけに自殺の危険には敏感になり、死なせてはいけないという思いは強いという。
他領域の連携を
横湯さんは、その後、大学で心理学などを教えられているが、1999年からの3年間は、中学校にもスクールカウンセラーとして入ったそうだ。私の問題意識としては、教員が専門家依存になって、心理の枠組みで子どもを見ることに問題はないのか、うかがいたかったのだが、それに対して横湯さんは、自分のスクールカウンセラーとしての経験をもとに、具体的な経験を話してくださった。横湯さんは、教員よりも事務員や用務員と親しくして、そこから情報を得たり動いてもらうことで、いじめなどの問題に対処していたという。また、同じ教員でも養護教諭と連携することが多かったそうだ。養護教諭は、貧困や虐待の問題にも、いち早く気づくことが多い。子どもと関わるのは心理職だけではダメなのは当然で、いろんな人が関わることが大事だという。
現在、教員は報告業務など事務量が膨大になっていて、子どもと関わる余裕を失っている。事務量を減らす、他領域の職種と連携することなどで、子どもの声を聴く余裕を取り戻す必要があると、横湯さんは話されていた。
貧困が広がり、厳しい状況に置かれている子どもたちが増えているなか、子どもを抱え込むのではなく、周囲の大人が連携していく必要性はあるのだと思う。 それは、フリースクールなどの居場所においても、同じことが問われているように思う。
くわしくは本編を読んでいただきたい。(プロジェクト統括者/本紙理事・山下耕平)
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