2017年9月30日から10月1日にかけて、北海道札幌市で行なわれた「全道のつどい」の若者シンポジウム抄録を掲載する。登壇者は3名。不登校した時期も「不登校その後」の歩みも異なる経験者が「今だからこそ話せる不登校当時の思い」について語った。
私が不登校になったのは、中学1年生の後半ぐらいでした。学級代表をしていたんですが、どうしても担任とソリが合わなかったんです。「あなたはこういうタイプだから、こうあるべき」と決めつけてくることに納得いかなくて、学校に行かなくなりました。
そこからは毎日が母とのバトルでした。母とどうやって顔を合わせずに朝をやりすごすか、どうやって学校を休む理由をつくるかということを必死に考えていました。寝るときに窓を開けっぱなしにして風邪をひこうとしたこともあれば、腹痛を起こすためにお腹を出しっぱなしにしていたこともあります。
最初のうちはそれも通用するんですが、1~2週間も続くとさすがに「病院に行こうか」となるわけです。とはいえ、医者も「疲れが溜まっているのかな」ということぐらいしか言わないので、そこで母も気づいたと思うんです。うちの子、不登校なんじゃないかって。
毎日がバトル “私を認めて”
それからしばらくして、「札幌自由が丘学園」というフリースクールに通うことにしました。「母に認めてほしい」という思いから自分で探し、「私はここに通います」と宣言しました。
ただ、それでもやっぱり、母は学校に戻ってほしかったんでしょうね。顔を合わせるたびにケンカするようになってしまい、本当に毎日がバトルでした。家にも居られなくなって、お金も持たずに、通っていた病院に駆け込んだこともありました。
母に認めてもらえなかったことは、今ふり返っても、いちばんつらいことでした。あるとき、母のノートを見つけてしまったんです。
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