不登校新聞

474号 2018/1/15

『被差別部落出身』を公言し、反戦を主張し続けた元自民党幹事長・野中広務氏が死去

2018年01月26日 19:42 by shiko


自民党幹事長や内閣官房長官などを歴任した元衆院議員の野中広務氏(92歳)が亡くなられたことが本日、報じられました。

心よりご冥福をお祈りします。

『不登校新聞』では、2008年に「戦争特集」で野中氏を取材しました。

取材の場でも、『被差別部落』出身を公言し、反戦を主張していただきました。

その訴えは、いまよりいっそう必要なメッセージだと感じ、ここに当時のインタビューを掲載いたします。

 

【戦争特集】元自民党幹事長・野中広務さんに聞く

――野中さんの戦争体験を聞かせてください。

 僕は1925年生まれですから、国がだんだんと戦争へと向かい、実際に戦争が始まり、終戦を迎えるところまでを見てきた世代です。実際に私も戦争へ行って見事な戦死をとげるのが男子の本懐だと教え込まれ、自分でもそう思いこんでいました。そして、1945年の3月には召集令状も来ていました。

 戦争というのは突然、始まるものではありませんが、いったん戦争が始まると、これは本当に恐ろしく、むごたらしい事態になります。人が人を平気で殺してしまう。軍人だけでなく一般市民までをも巻き込んだ被害が起きるのです。

 先日、3月10日は東京大空襲の日でした。米軍からの爆撃によって東京が焼け野原になった日です。いまの東京を見ても、それを想像できないでしょう。思い出す人も少ないかもしれません。ましてや広島や長崎の原爆被害、そのすさまじい状況を想像するのは難しいことでしょう。

――「日本が戦争へ向かっている」と言われますが、野中さんはどう見られていますか?

 神奈川県の座間には「キャンプ座間」と呼ばれる米軍の陸軍基地があります。キャンプ座間の一部には陸上自衛隊も駐屯しています。現在、この座間にワシントンの米軍の陸軍第一司令部がやってきて、それに伴い、自衛隊の司令部も集結すると言われています。これは深刻な問題です。かつて日本は中国大陸を侵略しようとしたとき、朝鮮半島の上部に満州国をつくり、東京にあった関東軍司令部を満州国に移した歴史とダブるからです。

 満州国ができてどうなったのか。歴史をふり返れば、南京虐殺が起き、ベトナム、カンボジア、インドネシア、フィリピンへの侵略が始まったわけです。日本軍の内部では、フィリピンを攻めた際に「このまま戦争を続けていくのは無理だ」という趣旨の意見も持ち上がっていました。しかし、それがわかっていても、どうにも止められずに戦争を続けたわけです。

 こうした歴史的な背景があるにも関わらず、さきほどのキャンプ座間の「米軍再編」を日本は3兆円もの税金を使って進めようとしているのです。

 いま、政治家のほとんどが戦争を見ていません。質問にあるように、戦争へと国が刻一刻と向かっています。戦争への道にブレーキをかけられるのは、私たちの世代が、最後の砦でしょう。戦争が起これば、かならずその傷跡は後世まで残ります。私は死ぬ瞬間まで、戦争を止めるための努力を続けていきたいと思っています。

―― 一方で、今の若い人たちのことを野中さんはどう思っていらっしゃるでしょうか。フリーターやニートの問題が国会でも議論されています。

 規制緩和の「美名」のもとに、小泉純一郎元首相などが、アメリカの市場原理を導入して、アメリカ並みの規制緩和をしました。たしかに経済だけを見れば、好景気になったと言われますが、それはまやかしです。

 年金制度が崩れ、社会保険が潰され、医療や介護の負担が重くなっていく。大企業は人件費を抑えるためにリストラや早期退職を進め、派遣やパート社員を使うようになりました。正規雇用者と非正規雇用者では、生涯所得格差が3倍になっていると指摘されています。こうしたなかでフリーターやニートが増えました。

◎ 市場原理が心を破壊

 戦後教育のせいだという指摘もありますが、そうではありません。強い者が勝ち、弱い者が負ける、という市場原理が、社会の大切なコミュニティを破壊し、家族を破壊し、子どもの心まで引き裂いていった。日本の心が破壊されたわけです。そういう一連の動きのなかにフリーターやニートの増加があります。

 ただ、福田総理になって、すこしずつ取り戻そうという動きがあります。それも、この間、アメリカを中心とする会社の株価がガタッと下がったため、日本の株も下がり、暗雲が立ちこめています。いまこそ、日本がどんな方向に進んでいくのか、グローバリゼーションの世界戦略のなかで日本の位置をどこに持っていくのか、国内の深刻な社会問題をどうすべきか、議論しなければなりません。しかし、残念ながらそういう全体的な視野の討議が国会ではまったくされていません。

――いまご指摘された「日本の心」とは何なのでしょうか?

 いまは水道をひねれば水が出ます。ガスをひねれば火が出ます。しかし、もともと、そうだったわけではありません。
 日本人は、何の道具もない時代から山に道をつけ木を植え“山”をつくってきました。川には井堰をつくり、ため池をつくり、さらには田んぼをつくり、水が貯まるような仕組みをつくってきました。

 すべては「水の道」をつくり、水害を抑えるためです。日本人は水の道を利用して、米をつくりました。米は何百年と同じ場所で穂を実らせても土が痩せない作物です。ここに飢餓と災害を同時に抑えるための知恵がつまっています。そして、春には豊作を祈る祭、秋には豊作を感謝する鎮守の祭をし、そこから日本の伝統芸能が発展しました。私たちは謙虚な気持ちで自然とともに生きてきた民族なんです。

 ところが、いま山は“無価値”にさせられてしまいました。プロパンガスによって薪を使わなくなり、誰も山に手を入れなくなりました。さらにアメリカの要求で建築基準法が変えられ、外材をどんどん入れ、外材についてきた新しい害虫が山を荒らしました。金になるから、という理由で針葉樹政策がとられましたが、針葉樹のスギやヒノキはしっかりとした根を張りません。すぐに大災害を引き起こすようになってしまいました。

 善し悪しではなく、これがこの国の培ってきた文化や風土です。それはよくみなさんにも知っておいてほしいことです。

――先ほどから一貫して「弱者への視線」を感じますが、野中さんの視線の源にはなにがあるのでしょうか?

 僕は条件が揃っているんです。まず、被差別部落と言われる地域の育ちですし、戦争中の思い出も大きいです。

 戦時中、家の近所に造兵廠(兵器工場)が疎開してきました。働いていたのは、ほとんどが朝鮮半島から来た人でした。この人たちが毎日、鞭で打たれて血みどろになりながら働いていました。隣町のマンガン鉱も同じような状況だったそうです。そういう姿をずっと見てきたからでしょう。

――最後に子どもや若者へメッセージをお願いします。

 やはり若いもんが、これからの時代を背負っていくんです。ひとつは年寄りに遠慮をしないことです。そして、この国を少しでも誇れるように、あきらめずに反骨精神を持ち、やっていってほしいと思います。

――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂)

2008年4月15日 『不登校新聞』掲載

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