不登校新聞

476号 2018/2/15

西鉄バスジャック事件被害者・不登校の子を持つ親 山口由美子さんに聞く【不登校50年・公開】

2018年02月13日 12:40 by kito-shin



連載「不登校50年証言プロジェクト」

 2000年5月、西鉄バスジャック事件はずっとテレビで中継されていた。この日、佐賀駅バスセンターを出て福岡天神まで行くバスが17歳の少年によって乗っ取られ、4人が重軽傷を負って1人が死亡した事件である。私は自宅のテレビで、家族とともに、何とも説明のつかない思いで画面を見ていた。

 「どうしてこうなったんだろう」とか、「バスのなかの人は、どれほど怖い思いをしているだろう」などと言葉にしたとは思うが、ときにため息もついたりもしていたとも思う。

 そんな緊迫した中継を見ているのに、「ごはんどうする?」とか、明日の予定を確認し合ったりと、まったくふだんと変わらない日常もすごしていた。命の危険にさらされている事件が、同時刻で起きているのに、だ。お話をうかがっているあいだ、そんなことを思い出しながら、自分を恥じていた。

 山口さんから、事件のお話をうかがったのは始めてではない。「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」の大会などで何度かうかがっていた。今回、奥地さんとともにインタビューにうかがって今まで知らなかった貴重な話をたくさんお聞きした。

 バスに同乗されていた山口由美子さんと塚本達子さんとの出会い、当初予定していたバスより一つ前の時間のバスに乗り込むことになったこと、そしてこのバスジャックを起こした少年は不登校だったことなど。山口さんがおっしゃっているように、まるで念入りに決められていたかのようだ。塚本さんは、常々「今の学校や子どもたちの状況はひどくなるばかりで、こんな片田舎にいて何をどうしたらいいんだろう」と嘆いておられたそうだ。あの事件で、子どもたちの状況を知ってほしいという思いがあったのかな、とも山口さんは語っておられた。

 バスのなか、大きな包丁を手にした少年が、一人の乗客の首を刺したとき、山口さんには、「本気で人を殺したいと思って生きている子はいない」という確信があり、「今、少年は自分の本来の心ではなくて、追い詰められた状況なんだな」と感じたそうだ。ご自身、顔を切られ、両手を切られ、後頭部を切られた状態のなか、「彼を殺人者にするわけにはいかない」と強い思いを持ち、ときに気を失いながらもなんとか耐えておられたそうだ。なお重傷を負った山口さんと塚本さんは病院へ搬送されたが、塚本さんはその後、亡くなられた。

 なんと壮絶なことが、バスのなかでくり広げられていたのだろう。初めて出会う人を恐怖に陥れ、切りつけ、血まみれにした少年は、自分自身の心も体もズタズタに切り裂いていたのだろうか。あるいはバスに乗り込む前には、彼がズタズタに切り裂かれてぼろぼろの状態だったのだろうか。

 この少年は不登校で、中学時代、そうとうないじめにあっていたらしい。親は学校に行かせたい、という思いが強く医者に相談したところ、入院を勧められた経緯がある。山口さんは、少年を追い込んだ大人に責任がある、社会に一因があると語っておられる。不謹慎かもしれないが、私は少年が山口さんと出会えて本当によかった、と思った。何が起こってもおかしくない状況で、山口さんの彼への気持ち、また運転手さんや乗客の、他者に対しての優しさが、小さな灯のように、ぽっ、ぽっと光っていたような情景が浮かび、少しほっとした思いにもなった。

 この事件のあと、山口さんは居場所を始められた。小さな灯が、消えずにいろんなかたちとなって広がっているように思える。HPでの山口さんの言葉一つひとつをじっくりと感じていただければと思う。

■不登校50年証言プロジェクト「#32 山口由美子さん」http://futoko50.sblo.jp/article/182341564.html

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