連載「不登校50年証言プロジェクト」
兵庫県立神出学園で小林剛・学園長にお話をうかがった。1994年に不登校の高校生や高校中退者のために設立された神出学園は「公立の全寮制フリースクール」と呼ばれている。
神出学園にはインタビュー以前にも訪れ、学園祭を見学させていただいた。模擬店が出され、修了生も来校し、にぎやかな雰囲気であった。とくに印象に残っているのは、学園生全員によって歌われた学園歌である。この学園歌は、修了生が書いた歌詞をもとに、神出学園の音楽の先生が作曲したものである。やわらかいピアノ伴奏にのせて歌われる言葉は、校歌らしくない意外なものだった。1番にはこんな歌詞がある。
「僕は黙って 鳥を見ていた 鳴いてばかりで 飛ぼうとしない 鳥を見ていた 僕も泣いてた」。
こんな歌詞の校歌がほかにあるだろうか。学園生のありのままを表現した歌詞に神出学園の特色が表れているように思われた。
小林学園長は大学院修了後に9年間、高校教員を経験している。インタビューを読み返すと、学園長が「あたぼうよ!」と高校生たちに熱く語りかける姿が目に浮かぶ。多くの高校生たちが夜な夜な小林学園長の6畳間の自宅を訪ね、部屋に入りきらなかったため、高校生たちと語り合うための場として隣の8畳間も借りたそうである。
学園の原点は
小林学園長は、子どもたちの発想やニーズに応える柔軟な学びの場と理念が必要であると話していた。学びが成り立つのは教室のなかだけではない。小林学園長と高校生たちが語り合った8畳間のような場だからこそ得られる深い学びもあるだろう。それは学校らしくない学びの場として実践を重ねてきた神出学園も同様であり、学校外の学びの場が注目されているいま、もっとも必要とされているものである。
小林学園長の原点とも言えるのは北海道家庭学校である。おもに非行少年たちを受けいれているこの学校に、小林学園長は学生時代に何度も通った。職員たちが親代わりになって非行少年たちと関わる北海道家庭学校に感銘を受けたという。自然豊かな環境での農作業や共同生活など、北海道家庭学校と兵庫県立神出学園との共通点は多い。北海道家庭学校での経験は、つねに念頭にあると小林学園長は話していた。
インタビューを通して、人と人の歴史的なつながりを感じさせられた。家庭学校を創設した留岡幸助の四男・清男は、北海道大学教授と北海道家庭学校校長を兼任していた。小林学園長は北海道大学での指導教官に誘われて北海道家庭学校を見学することになった。また、大学院での指導教官であった鈴木秀一は、北海道自由が丘学園(フリースクール)を創設している。そして、小林学園長も武庫川女子大学教授として実践と研究の両方に取り組み、神出学園の創設と臨床教育学の確立に大きく貢献した。
実践史のなかに脈々と受け継がれているものを実感させられる貴重なインタビューであった。(プロジェクト関西チーム委員・田中佑弥)
■不登校50年証言プロジェクト #33小林剛さん
http://futoko50.sblo.jp/article/182419191.html
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