不登校経験者、PN・kfさん(女性・25歳)の手記を掲載する。どうして学校に行きたくないのか、自分でも答えがわからなかったkfさんは、ある人との再会で考えが変わっていったという。
不登校中に「どうして、学校に行きたくないの?」と聞かれて、答えられなかった回数は数えきれません。小学6年生の夏休みから学校に行かなくなり、家でひとりの時間がめぐればめぐるほど、私は毎朝両親に向かって言っている「学校に行きたくない」という言葉の意味を考えるようになっていきました。どうして私は学校に行きたくないのか? その答えが自分のことなのにわかりませんでした。
学童の先生との再会で
日にちが経つにつれ、理由がわからない焦りと戸惑いに押しつぶされていった私の心は、小学校低学年のころにお世話になった学童の先生との再会で変わっていきました。その先生は私に「どうして学校に行きたくないの?」とは聞きませんでした。
その代わりに、「学校で何がイヤだったの?」と聞いたのです。
この人は「学校に行けない理由」ではなく「私の心が傷ついている理由」を知ろうとしてくれているのだと、すぐに気がつきました。
先生の言葉と気持ちに優しさを感じながらも、「この人は、どうして私の気持ちなんて聞くのだろう?」と疑問に思っていました。しかし、気づくと私は泣きながら先生と話していたのです。聞かれていることが学校から自分に変わっただけで私には話せること、話したいことがたくさんあるのだと気づきました。
先生と話し終えたあと、私は自分の心について考え始めました。
もしも自分の心に傷があるとするならば、それは学校に行けないことよりも大きなことだと感じました。心のことはどう解決したらいいのか、それすらわからなかったからです。どこに行けば答えがあるのか、何をしたら治るのか、心の傷とは何なのか、もはやすべてがわかりませんでした。
自分の心のことなんて考えもしなかったからこそ、今までどんなに考えても学校に行きたくない理由がわからなかったのだ、と。心が少し疲れているのかもしれないと私は思えるようになりました。
次の日から、学校に行けない理由を探していた時間は、自分の疲れた心と現実を受けいれるための時間へと少しずつ変わっていきました。受けいれようともがく時間はとてもつらいものでした。すぎる時間のなかで学校に行けない自分を許す戦いをしながら、私は今までガマンしていたことや不満だったことをひたすら泣きながら考え続けました。泣けば泣くほど心が息をしやすくなっているような不思議な感覚が自分のなかにあったからです。
泣くことは解放すること
今思うと私にとって泣くことは、それまでまわりに迷惑をかけないように無意識に「いい子」になっていた自分を解放するデトックスのような役割をはたしていたのだとわかりますが、当時は心が軽くなったのを感じ、もしかしたら心のためのヒントや答えが見つかるかもしれないと、ただただ自分の気持ちを考え続けていました。
学校に行けない理由を探していたときよりも、泣く回数や気分が悪くなる回数が増えていき、心のことを考えるのはとてもつらい時間でしたが、その時間はけっしてムダではありませんでした。何度も考え、感じることで、自分が嫌いだと思うこと、そして本当はしたいことを少しずつ見分けられるようになったからです。それは自分だけの物差しになり、迷いや悩みのなかで何かを決めなければいけないとき、私はその物差しを頼り、その物差しは私を助けてくれました。それは今でも変わりません。
不登校のころには「繊細だ」「気にしすぎ」「考えすぎ」と周囲から言われて悩んだこともありました。たしかに考えすぎは、ときに自分が苦しくなります。
しかし自分自身のことは近すぎるがゆえに、考えなければ見つけられないものも、わからないこともあると思います。だからこそ考えられることはひとつの武器であり、自分のためにできる努力のひとつだと私は思うのです。(PN・kf/25歳)
読者コメント
匿名
一般公開 おはようございます 私事 本日は通院日1日目 午後診2時か...