不登校新聞

479号 2018/4/1

善意ほどやっかい 精神科医・高岡健さん【不登校50年/公開】

2018年03月28日 11:28 by kito-shin



連載「不登校50年証言プロジェクト」

 高岡健さんのことは、本紙読者はよくご存じだろう。現在も本紙で連載していただいている。私自身、不登校にかぎらず、ひきこもり、発達障害、人格障害などについて、ずいぶん高岡さんに学ばせていただいてきた。一言で言えば、社会の構造とその変化のなかから、個人の状態像を見る視点と言ったらよいだろうか。

稲村問題は…

 80年代末に、児童青年精神医学会で稲村博さんの不登校治療が問題となった際、高岡さんは、その調査を担当されていた。稲村さんの治療の何が問題だったのか、あらためて高岡さんにうかがいたかった。なぜなら、稲村さんの問題というのは、無理な入院治療の問題もあるが、不登校が「遷延化」して「無気力症」になって「30代まで尾を引く」という稲村さんの見方は、その後のひきこもりにつながる問題として、いまも「尾を引いている」と思うからだ。

 高岡さんは、「遷延化」「無気力」があるとすれば、それは子どもに自分はダメだと思わせる治療の枠組みゆえであって、しかもそれが「善意」でなされていることが問題だという。「善意ほどやっかいなものはない」「地獄への道は善意で敷きつめられている」と。

 不登校にかぎらず、さまざまな「支援」は、得てして「善意」でなされている。しかし、よかれと思ってやっていると、自分を問うことがなくなってしまう。そして、自分を問わなくなった活動ほど怖いものはない。それが医療であれ、教育であれ、社会運動であれ、同じことだろう。

いい教育なんて考えられない

 高岡さんは、学校というのは社会が第1次産業から第2次産業に移行する時代に役割を果たしたもので、第3次産業優位の社会では、第2次産業型の学校こそが社会に不適応を起こしているという捉え方をしてこられた。しかし、社会がすっかり第3次産業優位の社会になったなかで、第3次産業優位の社会におけるしんどさも、さまざまに出てきている。そのあたりをうかがうと、高岡さんは、いまの社会になじめない人が苦しんでいるのは「第3次産業社会の公害とも言える」と話していた。

 また、オルタナティブ教育やホームエデュケーションについての高岡さんの見解は、たいへん厳しいものだった。高岡さんは「学校はダメだけど、いい教育はあるなんてことは考えられません」「学校も教育も共同幻想ですからね。これが家族に侵入するのはまずいです。そういう意味では、小さいところでは宿題なんてものはないほうがいいし、ホームスクーリングやホームエデュケーションというのは危ないと思います」と語っていた。関係者には納得しがたい面もあるかもしれないが、聴くべき指摘だと私は思う。

 高岡さんが常に社会の動的な構図から不登校を捉えてこられたように、私たちに求められているのは、いまの社会における不登校を捉え返していくことだろう。自分たちの物の見方は、常に問い直し続けなければならない。批判に耳を傾けることができなければ、それこそ「地獄への道」となってしまう。(本プロジェクト統括/山下耕平)

■「不登校50年証言プロジェクト」#35 高岡健さん
http://futoko50.sblo.jp/article/182617156.html

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