創刊20年。たいへん感慨深い。そして、新聞を創ってきてほんとうによかったと思う。
「自分たちのメディアがいる!」と切実に思ったのは、私が登校拒否を考える会や東京シューレを始めて12年~13年が経った97年の2学期の始めだった。本紙がのちに強く報道する長期休み明けの自殺や悲惨な事件が立て続けに起こった。淡路島で焼身自殺、静岡で鉄道自殺、筑波で学校放火。放火した少年たちは「学校が燃えてなくなれば学校に行かずにすむと思った」と語った。そこまで苦しくても、なお学校に行かねばならないと思っている多くの子に「休む道も学校以外で育つ道もあるよ」とどうにかして伝えたい、これは「子どもの生命がかかっている」と思った。また、増えてきた不登校・ひきこもりへの支援機関や専門家情報も当事者側に立った記事が求められていた。
幸いに、当時、登校拒否を考える全国ネットワークが誕生して8年、学校復帰を目的とせず本人の気持を受けとめていく活動は拡りつつあり、名古屋支局、大阪支局、全国で30あまりの通信局をボランティアで引き受けていただくなか、98年5月1日創刊となった。
市民発 手探りを続け
当時はブランケット版6ページ。活字の植字をやっている錦糸町の工場に月2回通ったし、考える会やシューレのお母さん方が、手をまっ黒にして新聞を折って発送くださった。
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