不登校新聞

482号 2018/5/15

2年前の熊本地震から不登校に いじめでも学校ぎらいでもなく【別室登校中の14歳手記】

2018年05月15日 13:37 by shiko



 中学1年の1学期が始まって何日かすぎたころ、早くも私は「この先、ちゃんと通えるだろうか」「できることなら通いたくない」などと思うようになっていました。朝起きて、ご飯を食べ、制服に着替えはするものの、玄関で立ちどまってしまう状態でした。全身が思いどおりに動かなくなるのです。それでもなんとか教室までたどり着き、ヘトヘトになりながらも1日をすごしていました。私は「行きしぶり」になっていました。

 そして4月14日、私の住む熊本県を、大きな地震が襲いました。みなさんもご存じの「熊本地震」、その“前震”が起きたのです。熊本市と益城町は、建物が崩れたり、インフラが止まったり、死傷者が出るなどの大きな被害が出ました。ですが、私が住んでいる県の南部地域は、揺れもありましたが、建物や道路などへの被害はそこまでひどくはありませんでした。学校はすぐに休校になり、私たち生徒は自宅待機となりました。被害が大きかった地域のニュースには心が痛みましたが、行きたくなかった学校が休みになったので、正直、地震の恐怖よりも、ほっとした気持ちのほうが大きかったように思います。

 地震から2日後の4月16日には“本震”が襲いました。とても大きな揺れで、私も近所の福祉施設に一晩避難しました。地元にある農協の駐車場が、車中泊をする人たちの車で埋めつくされていたことを覚えています。学校からは1カ月ほど休校になるという連絡が届きました。そのころは、学校自体が地域の避難所になっていたのです。

罪悪感と安堵感

 休校のあいだ、私は本を読んだりゲームをしたりして、地震への不安な気持ちを紛らわすようにすごしていました。テレビのニュースを見れば、阿蘇などの被害が大きかった地域の映像が流れており、被害が少なかった地域の住民としては、なんとなく申しわけない気分になったり。ですが、熊本県全体がたいへんなことになっているなか、なによりも「学校へ行かなくていい」ということに安心している自分がいました。本震のあと、余震もたびたび起きましたが、しだいに間隔が開き、回数も少なくなっていきました。地域も少しずつ復興が始まり、一時期は棚がからっぽになっていたコンビニエンスストアにも品物が戻り、ふつうに近い生活が戻りはじめました。6月に入ったころ、ようやく学校が再開しました。ですが、私は、もうふつうに学校へ通うことができなくなっていました。とうとう不登校になってしまったのです。



■執筆/イラスト・観際メル …… 熊本在住、ブログ「中学生メルの哲学レンズ」も更新中。

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