【質問】
ネットで不登校について調べていたとき、「休みグセがつく前に、親は早めに登校させたほうがいい」という記事を読みました。それ以来、親として気持ちが揺れてしまっています。「休むことも大事」だと理解しているつもりですが、まったく何もしないというのもどうなんでしょうか。やはり、登校を促すような多少の刺激は必要なんでしょうか?
【回答】
あなたが調べられたネットの記事は、署名記事でしょうか? そうでないなら、無署名というだけで、信頼度が格段に落ちます。つまり、相手にしないほうがいいのです。
逆に、もし署名があるなら、その名前で検索すれば、その人の主張がわかるでしょう。おそらく、その人は、学校復帰を当然の目標として、掲げているのではないでしょうか。だとすると、やはり、相手にすべきではないのです。
休むこと「が」大事なのです
揚げ足をとっているわけではけっしてありませんが、休むこと「も」大事なのではなく、休むこと「が」大事なのです。休むこと以上に大事なことは、何もないからです。
若いうちに休むことの重要性を体験的に身につけておかないと、後になって生命にかかわる事態が生じます。悲劇的な代表例は、過労死や過労自殺です。もちろん、もっとも悪いのは会社ですが、その背景には、休むことが当然の権利として根づいていない、日本の貧しい現実があります。
ここまでの話をわかっていただいたなら、あとは蛇足ということになります。
昔、登校刺激は是か非かといった議論が、一部でたたかわされたことがありました。でも、それは、「学校へ戻るために、登校刺激が役に立つかどうか」という議論にすぎませんでした。人間にとって、ほんとうに大切なのは、もちろん学校に戻ることなんかではなく、その時々の生活を、楽しむ(遊ぶ)ことができているかどうかです。
人間は、休むことによって、はじめて「楽しみ(遊び)」へ向かうことが、できるようになります。「楽しみ(遊び)」の先に、勉強へ向かうのか、仕事へ向かうのか、それとも市民運動などの社会活動へと向かうのか、それはさまざまでしょう。しかし、「楽しみ(遊び)」を経由しない勉強・仕事・活動は、非常に失敗しやすいのです。
「楽しみ(遊び)」親自身にも
あなたは、「まったく何もしないというのもどうなんでしょうか。」とおっしゃっています。たしかに、「何もしない」ことは、意外に難しいですね。それなら、子どもではなく、あなた自身が、「楽しみ(遊び)」を経由して、教養のための勉強や、アルバイトや、ボランティア活動へ、進んでみてはどうでしょうか。どこかで話したことがあるかもしれませんが、そういう親の姿を見た子どもは、「やっとうちの親も自立したな」と感じるものです。(児童精神科医・高岡健)
【プロフィール】
高岡健(たかおか・けん)1953年生まれ。精神科医。岐阜県立希望が丘こども医療福祉センター・児童精神科部長。著書に『不登校・ひきこもりを生きる(青灯社)、『引きこもりを恐れず』(ウェイツ)など多数。
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