不登校新聞

485号 2018/7/1

「多様化を問い直す」不登校経験者・伊藤書佳さんに聞く【不登校50年/公開】

2018年06月28日 10:55 by kito-shin



連載「不登校50年証言プロジェクト」

 伊藤書佳さんは1969年生まれ、中学校に入学したのは80年代初頭で、校内暴力の激しい時代だった。二宮金次郎の像が3回壊されたり、廊下をポケットバイクが走ってたり、トイレを詰まらせて廊下が水浸しになっていたり……。校内暴力を鎮圧するために、教師は暴力をふるい、校則で細かく生徒を管理し、日曜日の外出までチェックする。そういう状況を見ていて、伊藤さんは「どっちもヘン、この学校のあり方がおかしい」と思うようになる。

 伊藤さんは、中2の夏休み明けから学校へ行かなくなるが、一方で、学校のあり方を変えたいと、学校で新聞を発行した。その後、『学校解放新聞』の創刊を知り、編集会議に参加するように。保坂展人さん(本プロジェクト#27参照)はじめ、さまざまな人と出会うが、そこは、けっして子どものための場ではなかったという。共通の問題について、老若男女、さまざまな人が考え合い、話し合う場。そういう場がよかったと、伊藤さんは言う。フリースクールなどの居場所は、不登校の子だけが集まっていたり、大人が子どものための「スタッフ」であることなどがしっくりとせず、もやもやとしたものを感じていた。

 中卒後、高校を受験したものの落ち、予備校に通ったりもしたが、「学校に行かないで生きてみよう。実験してみよう」と、進学しないことを決める。そして、いくつかのバイトを経て、出産を機に、編集者として働き始める。『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』(ジャパンマシニスト社)という雑誌の編集だ。2008年に会社は辞め、現在は雑誌『教育と文化』で編集の仕事をしつつ、「不登校・ひきこもりについて当事者と語り合ういけふくろうの会」を開いている。

 伊藤さんが大事にしてきたのは、いろんな人がごちゃごちゃといる場だ。学校からの逃げ場として、そういう場がたくさんあればいいし、学校自体が、行っても行かなくてもいい場所として、居場所になるべきだという。それゆえ、教育機会確保法については厳しく批判する。この法律によって、学校の外にまで国の教育が追いかけてくるのは問題で、「学校へ行かなくても生きていける」ということが、いつのまにか「学校へ行かなくても別の場所で学ぶ」ことになってしまった。しかも、多様化という名のもとに、子どもが多様に分類されていく。伊藤さんは、この法律によって、別学体制が強化されることになったと批判する。そして、批判的検討が、まだまだ足りていないと話されていた。

  *  *  *

 学校は、人を能力で厳然とふり分ける場でもある。不登校やひきこもりは、そういう学校や社会の能力主義への「ノー」でもある。それがいかに多様化しようとも、能力主義の根もとを問わないかぎり、ますます能力主義は強まってしまう。根もとの問題を、いろんな人とごちゃごちゃと語り合っていくこと。この社会に希望があるとしたら、そういう場にこそあるのだろう。私自身も、自分の足場で、ごちゃごちゃといろんな人と考え合っていきたいと思っている。(本プロジェクト統括)

「不登校50年」#41 伊藤書佳さん

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