不登校新聞

486号 2018/7/15

遠藤まめたのエッセイ「するっと道が開けるとき」

2018年07月13日 17:39 by kito-shin



 「わたし」という一人称で私が初めて文章を書いたのは小学校4年生のころだった。同級生にSF漫画が好きな西川くんという目立たない生徒がいて、彼が「わたし」という主語で作文を書き、それを担任の教師が褒めたからだ。

 「西川くんは大人っぽいね」。

 その出来事で、私のなかの「わたし」の定義は変わった。それまで「ぼく」といえば男の子、「わたし」といえば女の子の記号だと思ってきた。しかし、社会には別の見方があることがわかったのだ。

 ぴかぴかの1年生だったときから、私は文章の書けない子どもだった。授業中さらさら鉛筆を走らせる友だちのなかにいて、原稿用紙は目の前にいつも1枚だけ。冬休みが終わると学年の記録のためにクラスで文集をつくることになっていて、何も作品のない自分は悲惨だった。「オレは、どうして『わたし』って書かなきゃいけないんだろう」って原稿用紙を前にして、ずっと困っていた。でも、そんなことバカにされそうだから言わなかった。だって、ほかの人たちは一人称で悩んだりはしていなかったし。

この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

ひといき

546号 2021/1/15

森の喫茶店 第546号

546号 2021/1/15

ひといき

545号 2021/1/1

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

546号 2021/1/15

田舎で不登校になるのは本当にめんどくさい。もちろんは都会だろうと田舎だろう...

545号 2021/1/1

2020年は不登校やひきこもりをめぐってどんなが起きていたのか。新型コロナ...

544号 2020/12/15

いまの子どもの自信を奪っているものはなにか。これが私のライフテーマでした。...