不登校新聞

487号 2018/8/1

「みんながちがうを伝えたい」不登校でLGBTだからこその思い

2018年07月31日 15:07 by kito-shin

小学校や中学、高校などで「多様な生と性」の授業や講演をする、中島潤さん。いまの社会の「ふつう」を問い直し、「みんな同じ」ではなく「私とあなたってちがうよね」が前提の世の中になれば、みんな息がしやすくなるのではないか。そんな状況を目指して活動を続ける中島さんに、お話を聞かせてもらった。

・・・・・・・・・

――「多様な生と性の授業」というの は、どんな内容のものですか?

 いま学校で大人たちが言っている“ふつう”という概念や、世間でよしとされている“理想”って、疑っていいんだよ、みたいなことを伝えたいんです。

 LGBT(性的マイノリティの総称)を一つのテーマにしていますが、別にLGBTの子どもだけに届けたいわけではない 。たまたま私はトランスジェンダー(自分が認識している性別と、出生時の身体の状態をもとに割り当てられた性別が異なる人々の総称) で、LGBTというテーマが自分にとっては身近なので、それを切り口にしているんです。

ふつうって何?

 “ふつう”を問い直すこと、規範に抗うことができるんだ、という自信を持つことって、一人ひとりの生きやすさにつながっていく。最終的に“一人ひとりちがう”ということがふつうの社会になったら、みんなちょっと息がしやすくなるんじゃないかなって思います。

 いまの学校や社会って「みんな同じはず」が前提ですけれど、「私とあなたってちがうよね」が前提になったら変わると思うんです。「同じ」を前提にすると、「え、そこがちがうの?」「そこもちがうのね」「そういうの、無理なんだよ!」となって、対話が成立しづらいけれど、「ちがう」ことをベースにすれば「そこもちがうんだ」「それもちがうんだね」「じゃあ、どうする?」というふうに対話が成立する。

 そうやって「異なる人たちがいっしょに生きていくには、どうしたらいいか」ということが語れる状態になれば、結果的に失われる命も減っていくんじゃないのかな。

 授業のときによく考えるのは、言いがたい生きづらさとか、言葉にならない苦しさがある人に、まわりの人間がどう寄り添うことができるのか、みたいなことです。

 というのも、自分が不登校だった時代って、何がキツイとか、どうして学校に行けないかとか、言語化できなかったから。「なぜ」と聞かれても困るし「これを変えてくれ」と具体的に言うこともできないんだけれど、でもつらいし、学校に行けない。

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