連載「不登校50年証言プロジェクト」
西村秀明さんは、現在、宇部フロンティア大学教授として、精神保健福祉士や臨床心理士の養成に関わっておられるが、大学就任以前は、山口県精神保健福祉センターで、長いあいだ不登校、ひきこもりの子どもや親と関わってこられた。
筆者が、西村さんと知り合ったのは、「東京シューレ」を開設した1980年代半ばごろ。西村さんが「東京にヘンな人がいる、何かヒントが得られるのではないか」と考え、山口で開催した「精神衛生保健センター中国四国ブロック」の協議会の講演に筆者が呼ばれたことからである。
「ヘン」というのは、当時、登校拒否は、首に縄をつけてでも学校へ戻そうという対応が一般的ななかで「そうじゃない」という意味の表現であった。
その後、職員が「指導する」のでなく「子どもについていく」というスタンスで、子どもたちの自主グループを、センターのなかで始められた。それを「星のうさぎ」と言ったのである。
それは、それまでの「教科書」とはちがっていろいろ議論になったが、所長がすごい方で「教科書を捨てろ」と宣言。目の前の子どもから学ぶことをポリシーにしたセンターとして展開してこられた。
センターの考え方が変わると、やってくる子どもの人数も増えていき、しっかり育っていき、県内でのシンポジウムにも出て、学校の先生にも知れわたっていった。また、東京シューレの子もいっしょに、五右衛門風呂のある村で合宿したり、山口市で合同シンポジウムも行なったりした。
当事者から学ぶ
西村さんは、親の会とのつきあいも大事にされていかれた。最初「かめの会」を始め、その後、県内に6カ所の親の会をつくり、当事者サイドに立った親との相談に支えられた人は多い。
1990年に「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」が立ち上がったが、世話人合宿を開催してくださったり、近年では2015年夏の全国大会を西村さんが現地実行委員長になって宇部フロンティア大学で開催してくださるなど、多大な協力を得てきた。
全国大会などでは、西村さんは「ひきこもり」をテーマに講師を務めていただくことが多い。
多くの自称「専門家」たちとちがって、ひきこもりを問題行動視したり、ひき出すための働きかけを進めるのでなく「ひきこもりは大切な意味がある」と語る。それは、ひきこもり本人から学んだそうで、その一人ひとりを信頼し、親もともにそっと見守りつつ、つきあっていくたくさんの事例は、聞く人の胸を打つ。
大学に勤務されてからも、西村さんが中心になって、居場所や相談所の開設とともに、ちゃんとした医療をやりたいとクリニックを開設、チームを組んで一人ひとりに合った関わりをなさっている。
インタビューでは、公的機関としては稀有なセンター活動と西村さんのあたたかい人間観へのまなざしのルーツを見つけたく、学生時代や保健所時代、本の出版などについてもくわしくお聞きした。
「安心すると先が考えられる」など、保護者の方に読んでいただいても役立つ記事となっている。(奥地圭子)
不登校50年 #45 西村秀明さん
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