不登校新聞

493号 2018/11/1

10年間ひきこもって、ダイニングバーのマスターを始めました

2018年10月30日 10:52 by kito-shin

 「他人と関わるのが怖い」と言って10年ひきこもっていた鬼頭信さん(30歳)は、その後、ひきこもりの当事者会や本紙の取材に参加し、今年5月からバーのマスターを始めた。毎日のように見知らぬ人を接客する仕事だが、どのような経緯でバーのマスターになったのだろうか。その背景や心境の変化をうかがった。

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――まずは現在の仕事から教えてください。

 今年5月から「やさいとお酒のお店 key to」(名古屋市西区)というダイニングバーを始めました。開店は週3日。午後3時ごろからお店に入って準備し、お店を閉めて片付けが終わるのは午前2時ごろです。それ以外は在宅で週2日、WEB版『不登校新聞』の発行を手伝っています。

――そう考えるとほぼ毎日、働いていますね。

 そうなんです。なので「ひきこもりです」とは、もう言えません。ただ、どこかの企業で働いたことはないので「社会人」というには抵抗があるんですが。

カースト上位のいじめと人間関係

――鬼頭さんは中学2年生から約10年間、ひきこもっていました。きっかけはなんだったのでしょうか?

 小・中学校時代の人間関係や学校生活に疲れて、他人と関わるのが怖くなったからだと思います。

 小学校高学年から中学2年生で不登校をするまで、僕が仲よくしていたグループはクラスカースト(教室間の序列)で言えば上位グループだったと思います。

 十数人のグループで、主要メンバーは同じ塾に通っていました。ふだんは仲がいいんですが、何かのきっかけで関係がすぐに壊れてしまうというか、誰かがグループのみんなから攻撃される対象になってしまう。そんなことがある日突然、起きてしまうんです。

 その矛先は特定されていなくて、自分にも矛先が向かってきましたし、自分もその輪に加わっていたこともありました。なんていうか関係がすごく希薄なんですね。

 今から考えれば異常な関係だったことはわかりますが、当時はそのグループにしがみつこうと必死でした。必死で殺伐とした人間関係のなかにいた結果、クラス替えによってそのグループから離れてしまったとき、絶望感に近いものを感じて学校へ行けなくなりました。

――ふつうに考えれば、人間関係が殺伐としたグループから外れたほうがいいと思うのですが、むしろ絶望感を感じたと?

 そうなんです。当時は、あのグループにいることが世界のすべてだとさえ思っていたからだと思います。不登校をしてから10年近くは当時の人間関係を夢で思い出すこともありました。

――ひきこもっていた10年間は、学校時代の人間関係が記憶や夢のなかでリフレインされるため「他人が怖い」と強く感じていた。そんな感じでしょうか?

 そうかもしれません。ただし、本当にきつかったときの記憶は覚えていないというか、あまり考えられる状況じゃなかったのかもしれません。

 人間関係以外でも、小学校時代の先生との関係や部活がきつかったことなど、いろんなことがありました。でも、その思いをどうしていいかわからなかったです。

 不安から家で暴れて壁に穴をあけたり、無理に働こうとして新聞配達の仕事を2週間やって、よけいに働く自信を失ったり(笑)。

 結果的には外部との関係をいっさい遮断して、家族以外とは話さないという期間を何年か続けたことで安定してきました。


お店では自家栽培の野菜を使って料理を提供

――「安定してきた」というのはどういう状況なのでしょうか?

 「この先、自分はどうなるんだろう」という将来に対して焦りや不安はあるのですが、精神的に追い詰められるところまではいかない、という感じです。

 昼夜逆転をしていたり、オンラインゲームも累計で6000時間もやったりと、周囲から見たら不安な「ひきこもり」かもしれません。それでも、学校へ行けなくなった直前直後とは比べ物にならないほど精神的には安定したな、と。

 そういうなかで「このまま人と関わらないで生きていこう」と決めていた時期もありました。その時期に1年間、株の勉強をして、株取引も始めて「これで食べていけたらな」と思ったこともありました。リーマンショックで利益を全部、スッて辞めましたが(笑)。

 そのあと、2009年に『不登校新聞』の取材に参加しました。アニメ映画「攻殻機動隊」や「スカイクロラ」などの監督・押井守さんの取材です。

 母から取材同行者を探していると聞いたとき「こんなチャンスは二度とない」と思って新聞社に連絡しました。

――当時のことは私もよく覚えています。「この1年間、両親と祖母以外の人と話したことがないんですが」と連絡してきましたね。

 押井守さんに僕が聞きたかったのは「このまま他人と関わらないで生きてもいいでしょうか?」ということでした。押井守さんに、いまひきこもっている自分のライフスタイルの是非を聞きたかったんです。

 押井さんは「いいんじゃないかな、俺もひきこもっていたけど世の中がおもしろくなって外に出たし」という趣旨の発言をされていました。

取材よりも楽しかったのは

 じつはその取材よりも僕にとって大きかったのが、取材後に参加した飲み会でした。

 取材が終わって、しばらくして子ども若者編集会議へ行き、会議後に20代以上の人たちと飲みに行きました。それがホントに楽しくて(笑)。

 「他人と関わらないで生きていきたい」と、わざわざ押井さんに聞いたのに、その直後から人と関わる楽しさを知りました(笑)。もちろん「働いていない人も存在していいんだ」と肌で感じられたことも大きいことでした。

 その後は名古屋のひきこもり当事者会や『不登校新聞』に顔を出しながら、気がつけば10年ほど時間が経ちました。

 この間、自動車免許を取ろうとして教官が怖くて泣いてしまったり、アルバイトの面接へ行ったら「私も不登校経験者だったので」という理由で面接官から小言をもらったうえで不合格通知をいただいたり、かっこいいエピソードはありません(笑)。

 ただ「無理をした」という感覚もありません。当事者会に出るうちに知り合いの幅が広がり、飲みに行く人が当事者や経験者以外にも増えていきました。お酒は年々と好きになって飲むだけでなくお酒にもくわしくなり、自分が主宰する飲み会を開くことも増えました。

 そうしたなかで、以前は「他人は怖い」と思っていたんですが、「怖い他人はむしろ少ない」ということも実感しました。そういう実感が何よりも大きなものでした。

――だからこそ、毎日のように他人と接する仕事をしているわけですね。

 今は「今日もお客さんに助けられたな」と思うことが多いです。体力的にはきついこともありますが「今日もいい日だったな」と思う日が多くなっている気がします。

自分の人生に納得していない?

――8年前にも私は鬼頭さんを取材していますが、その際は『自分で自分を納得できていない』と話されていました。今はどう感じられているでしょうか?

 「自分で自分を納得できていない」というのは母から言われて心に残っていた言葉でした。

 というのも、学校へ行って会社へ行くという典型的なレールから外れた人生に僕は納得できていませんでした。「どうして自分だけがこうなってしまったんだろう」「子どものまま大人になれなかった」と、そんなふうに思っていたからです。

 ただ当時、そう思っていたことについては「まあ、もういいかな」と思っています。自分というのは変えようと思っても変えられるものではないし、自分の人生はムリに納得するものでもないかな、と思っています。

 仕事についても、仕事だと思っていないと言ったら語弊があるのですが、自分自身に主軸が置ける働き方ならば、そうつらくないなと思っています。新聞配達など他人や会社に主軸がある仕事は、たぶんまだムリです。だから、子どもっぽい部分は変わってないなと思っています。

――「大人になれないまま」と言ってましたが、今では充分、大人の考え方をされていると思います。

 そうですかね(笑)。

 機会があれば、名古屋の「やさいとお酒のお店 key to」にも来てください。自慢は自家栽培の野菜とこだわりのお酒です。料理をつくるのは僕ではありませんが、とてもおいしいです。どなたでも落ち着いてくつろげる場だと思っています。

――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂)

■□鬼頭信さんのお店□■

店 名 「やさいとお酒のお店 Key to」
住 所 愛知県名古屋市西区南川町302 三ツ川食堂内
時 間 18時~23時半(木、金)、16時~23時半(土)

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