不登校新聞

197号(2006.7.1)

奄美大島登校拒否追放運動 不登校の歴史vol.197

2018年11月22日 10:33 by shiko
2018年11月22日 10:33 by shiko



 鹿児島県奄美大島にある宇検村は1992年当時、戸数1087戸、人口2542人、集落数14の村だったが、そのうちの一つ久志集落で、登校拒否追放運動が起こったのだった。久志は、人口89人、戸数37戸の小さな集落だ。

 東京シューレの子ども6人と大人2人は、現地調査に出かけた。子どもたちは、各駅停車とフェリーを乗り継ぎ、57時間もかけて奄美大島へたどり着いている。

 のちに作成した報告書に「われわれは、いろいろな方からいただいたカンパをできるだけ有効に使うために、旅費を極限まで切り詰めました(たぶんこれ以上安く行く方法はないと自信を持って言えます)。プランの作成および旅費の計算を担当した私が奄美大島に着くまでの貧乏旅行のようすを書くことにします」とあり、2月20日東京発23時40分大垣行きの鈍行に乗ってから、23日早朝6時前、奄美大島へ到着するまでを刻銘に述べている。

 奄美で無事合流した私たちは、登校拒否の子どものいるYさんの家に迎えられた。

 村にはYさんの家族を含む3家族に、5人の登校拒否の子どもがいた。話を聞いてまず驚いたのが、なんと登校拒否をした当時の学年のまま、止まっていたことだった。

 19歳の子は、中学1年生のままで除籍。15歳の子は、小学校4年生、13歳の子も小学校4年生、10歳の子は小学校1年生、8歳の子も小学校1年生のまだった。教科書も在籍学年のまま、10歳の子でも小1の教科書しか与えられていなかった。

 東京シューレの子たちは登校拒否していても毎年進級していたし、私も、全国各地の登校拒否の集まりに行く機会が多かったが、こんなことは、はじめてだった。

 子どもたちに、登校拒否となった理由や状況を聞いた。

 

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